『非モテの品格 男にとって「弱さ」とは何か』(集英社新書)の著者・杉田俊介さんと、Twitterで「男らしさ」について積極的にツイートされているまくねがおさんによる連載「男らしくない男たちの当事者研究」。前編にて「男性論ルネッサンス」の検証として取り上げた田中俊之さんの『〈40男〉はなぜ嫌われるか』(イースト新書)について引き続き話し合います。
・ありのままを見つめられない男性には、「心の醜形恐怖」がある? 「男性論ルネッサンス」検証
生きるための「夢」がない!
まく うーん……。杉田さんが、田中さんの本を読んで「40歳よりもちょっと老けて感じる」と思ったことが、凄く意外でした。あれですかねえ、杉田さんのベースは文芸批評で、書生っぽさと言いますか、そういうものが思考様式に残っている、とかは関係ありますか?全然トンチンカンかもしれませんが…。
杉田 書生っぽさ、ですか?
まく 例えば、杉田さんの議論のベースには有島武郎がありますよね。『非モテの品格』(集英社)の補論は、題名からして『小さきものへ』や『惜しみなく愛は奪う』が底にあるんだろうな、と思ったりしたんですが。有島武朗は45歳で死んでしまい、大人になること、中年になることと格闘しつつも、決着をつけられないまま死んでしまったのかな、と感じていたんです。そのへんの話と、関係あったりしますか?
杉田 どうなんでしょうね。たとえば田中さんの本は定年退職後の人生をすでに、かなりリアルに地続きのものとして実感している、という印象があります。そもそも基本的に「諦め」モードが前提であるという気がしたんですよ。ただ僕の場合、「中年」って、もう少し、できることとできないこと、人生の可能性と宿命の間でもがき苦しんで葛藤するというか、そういうダイナミックな時期ではないか、という印象があるんですよね。田中さんは、もう少し枯れている感じがする。40歳にして、すでに晩年感がある。
まく ふーむ、なるほど。
杉田 たとえば田中さんの場合、有島みたいに人妻とずるずる恋愛して心中する、というルートは想定されていないというか……。いや、わかんないですけど(笑)。
まく (笑)。
杉田 むしろそういう新たな可能性なんてもう無いんだ、諦めろ、その方が楽になれる、という中年イメージですかね。ただ、そのうえで、諦めることはちゃんと諦めて、男たちも40歳以降の後半の人生にふさわしい、地に足のついた実現可能な「夢」を持ってもいいじゃないか、と提案するわけですね。僕はそこまであれこれを「諦め」で受け入れるような境地に達していない、と言いますか……。もうちょっと鬱陶しさ、暑苦しさがある人間ですからね……。
まく 杉田さんの地に足のついた実現可能な「夢」って、どんなものか聞いても良いですか?
杉田 いまのところ、思い浮かばないですね、そういう地に足の着いた「夢」は。もう少し、実現不可能な「理想」と具体的な「夢」の間で葛藤している感じなのかなあ。「革命」とかぽろっと言っちゃうし(笑)。そのへんも、中年的な生を生きてはいるけれど、田中さん的な意味での悟った「中年=40男」にはなりきれないのかもしれないですね。まくさんはどうですか。そういう「夢」があります?
まく そうですねえ。勢いで、いま思いついたことを言いますが……。
杉田 はい。
まく 「男らしくない男」はどう生きれば良いのかという苦労を僕は手に入れて、こうして当事者研究しようとしている。だから、僕が生き辛いと感じるこの社会が、なんとか変わってほしいと、思っているのですね。そのためにできることをコツコツとやっていきたいです。男にとっての「夢」の取り扱いって、いま凄く難しくなっていると思うんです。かつてのマッチョな「夢」には戻れない。金とか名誉とか女を獲得しようという「夢」には。でも、「あれもダメ」「これもダメ」で僕らは生きていけるのか。いまのこの生きづらさを言葉にして、何とか前を向いて生きる。そのためのエンジンとして、「夢」を持っていきたい。そんなことを思いました。
なかなか難しいんですが……。「ラディカルに、社会を変えるんだ!」ということをエンジンにしすぎて、誇大妄想みたいになって、目の前のことを無視してしまいそうでもあるので。だから、身の丈にあった「夢」を、何とか模索していきたいです。日常のことと、男を取り巻く社会のこととを、粘り強く往復して。
杉田 なるほど。まくさんのほうが僕よりもよほど大人なのかもしれないですね。僕は未成熟な感じがありますね。
まく うーん、どうなんでしょう……。そう言われて、逆にドキッとしてしまいました。僕も成熟してないのに、言葉の上だけで大きなことを言ってしまったのかな、と。