人間を幸福にしないお仕事 電通、DeNAにみる「人間の軽さ」

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ナガコ再始動

ナガコと仕事

 あっという間に2016年も残り僅か。月並みながらも本年を振り返ってみると、これまでなんとなく看過されてきた社会の悪習や行動が、明確に「問題」として認定される出来事が多々あったように思う。

 大手広告代理店の電通は、女性新入社員の過労自殺に労災認定がおりた件により、過重労働や上司による部下へのハラスメントが存在する企業体質を白日のもとに晒された。東京労働局と三田労働基準監督署は、労働基準法違反の疑いで本社、支社、子会社の一斉立ち入り捜査を実施。その後、電通は全フロア22時一斉消灯を開始した。

 以降、労働環境は改善されたのか。広告代理業の性質上、そう簡単には改善されないと推測する。消灯、退社の時間を定めたところで、クライアントの都合や大人数の関わるプロジェクトの擦り合わせを必要とする仕事の分量は減らない。それまで会社で行っていた夜間残業を、自宅や早朝出社で補うと画策しても、労働時間そのものは変わらない。

 また、大手レコード会社のエイベックス・グループ・ホールディングスも、三田労働基準監督署により、労働基準法に基づく是正勧告を受けた。レコード会社も「9時に出社して、5時きっかりに定時退勤」とはいかない、不規則な業態である。担当ミュージシャンや部署によって対応内容も異なるため、各位の実働時間を正確に把握することはなかなか難しい。

 「労働基準法に則った勤務時間内に収まるように、仕事量を減らせばいい」と淡白に考えると、利益の減少、規模縮小化により、これまで同様の給料を従業員に払えず、やむなくリストラしなければならない不備も生じる。が、そもそも、従業員の過重労働に支えられている企業の場合、人間が無茶をしなければ成立しない仕事の大前提自体、当の人間を幸福にするシステムとは言い難いのではないか。

好きな仕事とつらい労働

 仕事の持つ意味合いは、各々異なる。興味を持つ職種も希望の雇用形態も人それぞれ。当方は、やり甲斐があるうえに特技も活かせるフリーランスの自由営業を選択しているが、やり甲斐や興味以前に、安定した収入や育児休暇等の制度の充実を重視した労働環境を望む人も当然ながらいらっしゃる。

 世には、寝食を惜しんで仕事に全力投球したいワーカホリックもいれば、定時でとっとと退勤し、家族や友人と過ごしたり、趣味に没頭する時間に生き甲斐を見いだす人もいる。それぞれの人生の幸福観に正否はない。よって、雇用主は必要最低限の労働基準を守り、個々に異なる価値観をもつ労働者の基本的人権を保証する必要がある。

 と、考える当方にとっての仕事とは、自分の人生の幸福度を高めるための“手段”である。興味のある事象については、「書きたいから」という単純な理由で執筆し、「書きたくない」トピックスのご依頼は報酬額の多寡に関わらず断る。完全にプロ失格である。が、何よりも己の幸福を望む者ゆえに、「好きな仕事しかしない」という子供じみた我がままを全力で貫き通している次第。

 仕事も寝食も、自分の好きなタイミングで自由に行いたいので、会社や組織にも属さない。自ずと収入は不安定かつ低額となるが、自分の幸福度の焦点が「好きなことを好きなように行う自由」に当たっている以上、仕方がない。貧乏でもいい。寝たいと思う分だけ寝て、飲みたい分だけ安酒を痛飲させてくれ。それが私の幸福だ。

 こう書くと、とんだ世捨て人である。自分の時間と労力を費やす対価として賃金を得る“労働”に対し、あまりにも意識が低い。おそらく、私の捉える“仕事”はライフワークと呼ばれる生涯研究(またはフィールドワーク)で、それと生活を支える“労働”を区別して解釈している感覚がある。自分の「好き勝手」を切り売りしたい。「好き勝手」を許さない労働がつらい。できれば、働きたくない。遊んで暮らしたい。社会よ、私の自堕落を許せ。

 もちろん、社会は私の自堕落を許容するようには設計されていない。必要不可欠かつ苦手な実務に悶絶したり、大喜びで取り組んだ仕事の時給を冷静に計算してみたら赤字で仰天したりといった惨事に見舞われるわけだが、極小規模でも幸福に生きるための仕事を愛でている以上、甘んじて引き受ける。

 そんな私だからこそ、そう易々と大企業の労働環境に文句をいえた義理はない。特に、私が自由を愛するように、好きな仕事に携わる時間と労力を何よりも愛する、「好きで過重労働している能動的ワーカホリック」については、それが各位の幸福である以上、否定しづらい。

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