人間を幸福にしないお仕事 電通、DeNAにみる「人間の軽さ」

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好きで過重労働している人々

 かつて、当方がよく知るMV制作の現場は、スタッフの徹夜も一週間以上帰宅できない状況も当たり前の日常茶飯事だった。低予算とはいえミュージシャンやそのファン、レコード会社等の期待に応えたいディレクター以下スタッフは、寝食を惜しんで懸命に、革新的な表現を追究した。その人海戦術により、数多の名MVが誕生した。

 ディレクターは時給換算上赤字になっても、とことん表現を追究する。そのディレクターやMVカルチャーが好きで制作者となったスタッフも、とことん付き合う。私は彼らの情熱的な無茶、能動的なホスピタリティに、心底惚れ込んだ。他方、「主に15秒や30秒といった短尺のCMの1/10の低予算で、5分のMVはここまでできる」と世に知らしめたことにより、予算とクオリティの噛み合わない価格破壊が問題視されたことも事実だ。

 体調を崩すスタッフも、逃げ出すADもいた。好きで遂行している者が多い稼業だけに、「現場でつらい思いをしたからといって、逃げ出すのは甘い」という上司の苦情が部下を圧迫することも多々あった。しかし、人間が無茶をしなければ成立しない映像制作現場の前提が「当たり前」となったあたりで音楽不況が到来し、ますます予算が減額され、制作者自らが労働環境の改善を模索せざるを得ない状況と相成った。

 私は寝る間も惜しむ人間集団の熱量が傑作表現を生む歴史を間近で見ている。よって、それ自体が悪事だとは思わない。苦痛を伴うとはいえ、情熱とやり甲斐をもって現場に携わることを喜びと捉える者たちを否定するつもりもない。が、過重労働は歴然とした労働基準法違反である。やる気満々の社員が能動的に徹夜を続け、体を壊した際には、雇用主である会社がモラルを問われる。ましてや、誰もに発生する労働の権利を淡々と行使したい雇用者が、情熱ド根性ベースの仕事の仕方を強要された場合、今日日ハラスメントは堂々成立する。

 学生気分の新入社員や異業種へ転職した者が赴いた新環境において、等身大の自分の能力を向上させるべく努力することは尊い学びではある。が、努力の意義が労働者の自己犠牲を確約させる方向に転ずるのであれば、隷従強要といえる。従業員の過労死や鬱、PTSDを招く仕事は、会社や社会にとって本当に必要なのか。いろいろと考えを巡らせた数年前、私は自分の基本的人権と命を大切に思う者として、無茶をしない方法論を能動的に選んだ。

人間を馬鹿にするシステム

 電通やエイベックスの事例は、残業や休日出勤を「あって当たり前の業務」と捉える社風への労働基準法上のダメだしだが、他にも経営者および従業員が「特に問題はない」と解釈していたからこそ「大問題」として社会を賑わせる企業があった。医療系キュレーションサイト『WELQ』を筆頭に、自社の運営するサイトをすべて閉鎖したDeNAである。

 情報の正確さやユーザーの有用性を度外視し、利益誘導のためのSEO対策のみに奔走したサイトの在り方とは、「人間そっちのけ」の経済システムの傀儡である。結果、自社も就業者もユーザーも、誰も幸福を獲得しない。他媒体の記事や写真の引用・盗用等の著作権侵害も含め、人間の能力、労力を軽視していると私は捉える。

 閉鎖されたサイトに関わった方々は、一連の仕事内容に疑問を抱かなかったのか。クラウドソーシングで募集したライターは、人様の記事をコピーアンドペーストして切り貼りしたうえで、「そうと分からないように」リライトする作業に対し、罪悪感を抱かなかったのか。「特に問題ない」と思っていたようなら、同業者として理解に苦しむ。安価な報酬額を鑑みると、お金のためにやむなくマニュアルに従ったとは考えられない。

 DeNAも電通も、自社や業界の慣習に則った方法論が違法の嫌疑や倫理観の欠落を訴求される事実を突きつけられた。つまり、自分の携わっている仕事や組織に「疑問を持たない」という状況が、人間を著しく馬鹿にする行為と直結しているのだ。

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