「わいせつ表現」規制と女性差別克服は関係ない? 憲法学者・志田陽子氏インタビュー

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憲法学者・志田陽子さん

憲法学者・志田陽子さん

スクール水着の少女が「養って」とお願いする鹿児島県志布志市のPR動画「UNAKO」。太ももと下着のラインがスカートからすけているようにみえる東京メトロのイメージキャラ「駅乃みちか」。これらは、「性的な表現がふさわしくない」として批判をうけ、「UNAKO」は公開中止、「駅乃みちか」はデザインが一部変更されました。

このような事態を疑問視し、「過剰な規制は、表現の自由に反するのでは」といった意見を持つ人もいます。賛否両論が沸き起こる性表現。表現の自由と、表現への批判、この二つは対立する概念なのか。そして、表現規制は、女性差別に効果があるのか。憲法学者の志田陽子さんにお話を聞きました。

批判は表現規制なのか?

――女性差別に関係するものに限らず、特定の表現に対して批判がおこると「表現規制ではないか」「表現の自由を侵害している」という声が少なからずあがります。ある表現への批判は「表現の自由」を侵害していると言えるのでしょうか。

志田:批判すること自体は、表現の自由を侵害しているとは言えません。批判の自由も表現の自由のひとつだからです。また批判された側がそれをどう受け止めるのかも自由です。ただ、批判する側が法規制を求めていたり、あるいは相手の表現を封じられるほどの権力性をもっていたりする場合は、対等な関係とは言えず、表現の自由と緊張関係に立つことになります。

――そもそも「表現の自由」とはどういうものなのか教えてください。

志田:日本国憲法の21条には「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」とあります。つまり「一切の表現の自由」が保障されていることになっています。ただ、実際の裁判などでは「公共の福祉による制限がある」という言い方で規制を認めています。

たとえば、刑法175条には「わいせつ物頒布等の罪」があります。有名なD・H・ローレンスの『チャタレー夫人の恋人』も、昭和30年代には、性秩序を乱すため「公共の福祉」に反するとの理由で、訳者と版元が有罪判決を受けました。そのほかにも、『悪徳の栄え』『四畳半襖の下張』といった文学作品が有罪判決を受けてきましたが、今はビジュアル(視覚)表現のほうが中心で、こうした文字表現が起訴されることはまずないと言えます。

――実際に人物が出演している場合はどうなるのでしょうか?

志田:被写体が無理やり出演させられた、出演契約時になかった性的シーンを強要された、などの実害がある場合は、まず表現の問題以前に「強制わいせつ」になります。また、18歳以下のポルノを提供・保持していた場合にも「児童ポルノ所持提供」として刑罰があります。出演者が18歳以上かつ撮影に同意している場合には、「表現を過剰に規制する法律ではないか」という問題になってきます。

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