「わいせつ表現」規制と女性差別克服は関係ない? 憲法学者・志田陽子氏インタビュー

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表現規制で女性差別は解消されるのか?

――わいせつ表現を規制することは、女性の差別撤廃に有効なのでしょうか。

志田:規制の推進を重要課題としている女性の法律家も大勢いて、私の見解のほうが少数説であることをお断りしておきますが、わいせつ表現を規制することは、女子差別の克服にほとんど効果はないと私は考えています。むしろ、規制による弊害のほうが大きいと思います。

わいせつな表現が今の日本において、性犯罪や性差別を助長させているのかは微妙な問題です。助長されている面もあれば、そういったコンテンツがあるおかげで実行に走らずにすんでいる人もいるかもしれません。むしろ日本においては、わいせつな表現そのものよりも、「よくできた嫁」とか「家族のために喜んで自分の人生を犠牲にする献身的な母」といったステレオタイプな表現のほうが、女性たちの生き方を拘束し苦しめていると感じています。

――では、表現規制の弊害とはなんですか?

志田:表現規制は取り締まる側にとって、一番やりやすい手段です。書店やネットで表現物を見つければ、それ自体が揺るがぬ証拠ですから警察だって実績を上げやすくなりますし、国にとっても「配慮しています」というアリバイになりますよね。

しかし、いま必要なのは「フィクション」の規制ではなく、虐待や差別で苦しんでいる「現実」の児童を救うことでしょう。たとえば、シングルマザーの貧困が進んでいるなら、支援のための法整備を進める。DVを受けている女性が相談できるところを増やす。虐待されている児童に手厚い保護ができるようにする、……などいろいろ考えられます。これは表現規制に比べて、デリケートで難しい課題です。だからこそ、養育能力を失っている家庭が支援を求める決心をするためには、処罰ではなく支援なんだ、という発想を前面に出すことが必要です。このような実際の問題にまっすぐ取り組むことが大切です。

――表現規制は万能薬ではないのですね。

志田:表現規制は間接的な効果を社会全体に期待するもので、根本の問題そのものに直接切り込む対処法ではありません。解決のためには上記のような直接の救済的対応を増やすべきで、表現規制は「それらをやっても効果が上がらない」となった時に、その後で考えることです。

表現の分野については、まず差別的だと思った表現に対して、批判すべきところを批判すること、また自分は被害者だと感じたならば訴えを起こす、といったアクションが重要でしょう。一般社会が、そうしたアクションを起こした人々をきちんとレスペクト(尊重)すること、揶揄・嫌がらせなどをしないことも必要です。そこをまるごと法規制に預けてしまうと、「批判をする」という表現の自由が、つまり社会全体の基礎体力が少しずつ奪われかねません。

一方で、批判を受ける側も、信念と理由があって公表したのであれば、批判に対してその信念と理由を説明したらいいと思います。とくに日本の自治体は批判に極端に弱く、一件でも苦情が入るとすぐに中止してしまいます。しかし、自信があるならば踏ん張ればいいし、その根拠をきちんと伝えるべきです。その上で、批判を受け入れたほうがいいなら謙虚に受け入れればいいのです。

表現の自由を守るためには、批判する側にもされる側にもある程度の強さが必要で、そのための啓発や教育が進んでほしいと思っています。その強さが明らかに足りない社会で表現への法規制を強めてしまうと、差別撤廃の本来の目的から焦点がぼやけ、表現の自由をただ手放すだけになってしまうおそれがあると思うのです。
(聞き手・構成/山本ぽてと

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