合理的で感情の乏しい新人類がピカピカして見える。いかに分断から脱却するかを想像させる映画『太陽』

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(C)2015「太陽」製作委員会

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本作『太陽』は、2011年に前川知大が主宰する劇団イキウメによって上演された「太陽」を映画化したものです。2017年には、同じく前川知大の「散歩する侵略者」が、黒沢清監督、長澤まさみ、松田龍平、長谷川博己の主演で映画化される予定もあります。

この物語は、21世紀の初頭が舞台になっています。ウィルスに抗体を持つ新人類・ノクスが世の中を牛耳り、抗体を持っていなかった旧人類・キュリオは貧しい暮らしを余儀なくされていました。そんな中、ある村でノクスの駐在員がキュリオに惨殺される事件が発覚。それから10年後、事件を理由に受けていた経済制裁が解除され、ノクスとの交流が再開されるというのが物語の始まりです。

支配者階級のノクスは、ウィルスへの抗体を持っているものの、太陽に当たると焼けただれて死んでしまい、一方のキュリオは太陽のもとで暮らすことはできるのですが、ノクスの体液にふれるとウィルスに感染して死んでしまうという体質を持っています。そのため、ノクスが握手をしようとするとキュリオは躊躇し、その様子をみたノクスから「大丈夫、握手くらいじゃうつらない」と言われます。

普通、支配者と被支配者がいた場合、支配者があからさまに弱点を持っていることは少ないものです。しかも、(本来はあってはけないことですが)ウィルスを持っているものが差別され、握手を拒否されるというほうがありがちなように思いますが、それが逆転していて、ウィルスを保有しているノクスが支配者階級にいるのがこの映画の興味深い点です。支配者階級のノクスも、被支配者階級のキュリオも脆弱なのです。

ノクスとキュリオを演じる役者の表情や性格もうまく描き分けられています。ノクスは何かピカピカしています。演じる役者さんが、妙に若々しく、しかし表情などは乏しく見える。老化は遅いし、出生率は上がってはいないものの、出産が可能な年齢は70代にまで上がっているようです。対して、キュリオは貧しく、老化も早く、怒りなどの感情も爆発しやすい。ノクスから見ると「感情、因習、血縁に縛られている」からこそ、貧しくて暴力的なままなのです。

二十歳までのキュリオは、ノクスへの変換志望者を決める抽選に応募することができます。抽選で選ばれノクスへの変換手術を受けたキュリオは、今までどんなに感情的で、痛みとともに生きているような陰鬱さがあったとしても、ノクスのように晴れやかで、それでいてあまり人の痛みがわからないような雰囲気に変わってしまいます。そこが、ノクスをピカピカに見せる所以です。抗体のある血が体の中に入ると、精神までもピカピカしてしまうのかもしれません。

私は、キュリオ的な、なんでも悪いほうに考えすぎたり、ポジティブな行動ができない性質ですが、世の中にはどこにいても、ポジティブで出合い頭に自然に握手を求めてきたりする人もいます。ノクスがキュリオにやたらと「ありがとうは?」と強要するシーンが何度か出てきます。最初は、支配者階級の傲慢さを感じていたのですが、見ていくうちに、単にポジティブな合理性を重んじるのがノクスなのと思えてきました。ノクスとキュリオの行動をみていると、現実社会にもノクス的な人とキュリオ的な人は存在すると思いました。

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