社会

相手が低俗になるなら、私たちは高潔に ミシェル・オバマ「若い女性たちよ、恐れないで、勉強して、自分を表現して!」

【この記事のキーワード】

私→地域社会→国

 教育を受けるのは自分のためだけではない。ミシェルは教育を受けて自分の能力を高めたら、そのパワーをコミュニティのため、国のために使えと言う。

 「できる限り最良の教育を受けましょう」「そうすれば批判眼を養い、明確な自己表現ができるようになります」「そうすれば良い仕事に就けて、自分と家族を養えます」「するとコミュニティのポジティヴな推進力になれるのです」

 ここでのコミュニティとは地域社会のこともあれば、専門職コミュニティであったり、人によってはLGBTコミュニティであったりもするだろう。いずれにしてもメンバーひとりひとりに満足な収入があれば個人または家族として幸せになれ、それが暮しやすい安定した社会を形作り、ミシェルが言うところの「誇るべきアメリカの価値観」をキープすることに繋がるのだ。

 「誇るべきアメリカの価値観」という言葉は日本人にはやや大仰に聞こえるが、アメリカ人にとっては普遍的な概念だ。正直なところ、アメリカには「アメリカが世界で一番!」という思い込みが強過ぎる部分もあるにはある。しかし、個人がまじめに働き、コミュニティに貢献すれば、自然と国の繁栄につながり、国が繁栄すればひとりひとりが幸せになる。ミシェルの演説を聞くと、そうした「個人―社会―国」の自然なつながりがよく理解できる。

女性ゆえにキャリアを中断

 女性に対して、教育を受け、社会と国の重要な構成員になることを熱心に説くミシェルは、他の女性と同様に、女性ゆえに複雑なキャリア経路を辿ってきた。

 ミシェル・ロビンソンは1964年、シカゴで水道局に勤める公務員の父と専業主婦の母との間に生まれた。大学は出ていなかったが教育熱心な両親は、ミシェルと兄に週末しかテレビを観せなかったと言う。ミシェルは小学生時代に優秀児童のクラスに編入し、やがて米国東部の名門8大学からなるアイヴィーリーグのプリンストン大学、ハーヴァード大学のロースクールに進み、弁護士となった。将来の夫、バラク・オバマとは法律事務所勤務時代に出逢っている。この時点ではバラク・オバマはやはりアイヴィーリーグのコロンビア大学を卒業後の“自分探し”中であり、ミシェルがいわば上司的存在だった。

 ミシェルは後にシカゴ大学病院の上級管理職となる。その時期、ミシェルの後を追うようにハーヴァードのロースクールに進んで大学教授となっていたバラク・オバマとはすでに結婚しており、娘二人が生まれていた。すべてが順調だったミシェルだが、夫が上院議員となったためにライフスタイルが急変する。議員の夫は頻繁にシカゴからワシントンD.C.に出向き、家を空ける。シカゴ滞在中も州内を駆け回る。娘が熱を出しても学校に迎えに行けるのはミシェルのみ。仕事と育児に孤軍奮闘した。よほど大変だったとみえ、ファーストレディとなった後に「あの頃はシングルマザーのようだった」と言い、「大変でも夫がいたではないか」と批判を浴びたことがある。

 やがて夫が大統領に立候補すると、ミシェルは仕事を辞めざるを得なかった。当時はまだ幼い娘を抱え、選挙キャンペーンに参加しなければならなかった。なにより当選すると、ファーストレディは専業となるのが慣例だ。アメリカは女性の活躍が目覚ましい一方で、実は保守的な側面も大きく残る二面性のある国なのだ。

 夫が国の頂点に登り詰めたというプライドと引き換えに自身のキャリアを諦めたミシェルだが、いったん心を決めたからにはファーストレディとしての任務に集中した。ふたりの娘を「できるだけ普通に育てる」と同時に、全米の子どもの肥満対策としてエクササイズ+食育の「Let’s Move!」キャンペーンを展開し、最初に挙げたように教育プログラム、退役軍人の家族支援など数々の活動を行った。テレビのトーク番組に何度も登場して朗らかにインタビューを受け、コント、ダンス、さらにはラップまで披露した。意志に反してなってしまったファーストレディだが、国民のためだけでなく、自分自身のためにも楽しむことに決めたのだ。そのポジティヴな姿勢が結果的にアメリカのハートをグイグイと掴んでいったのだった。

 敢えて苦言を呈するならば、ファーストレディが自身のキャリアをギブアップしなくても良いホワイトハウスの在り方を模索して欲しかったが、それでもミシェルはベストを尽くしたのだ。

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