日韓合意はそうした問題の本質や歴史研究の成果を十分に踏まえていないどころか、今後どのような新しい事実が研究によって証明されようとも、それが慰安婦問題の本質的解決のために利用される可能性まで剥奪するようなものでした。実際、日本では歴史教科書から「慰安婦」問題に関する叙述が削られるなど、「自分たちの罪」から目を背けるような事態が政治主導で進行しています。だからこそ、韓国の人々はこの合意の無効を訴え続けているのです。
従軍慰安婦の数は5万から30万とされており、その実態の全てが明らかになっているとはとても言えません。多くの元従軍慰安婦の女性たちが、口をつぐんだまま亡くなっていったからです。
一方、元従軍慰安婦の女性たちの証言がオリジナルではない形で、恣意的な解釈によって変化してきたという点は、「証言が変化しているから嘘つきだ」「挺身隊と慰安婦を混同している」などという「検証」の隙を与え、慰安婦問題の論点を「狭義の強制性」などに矮小化する一因となってきました。そうした恣意的な解釈の変更によらない正当な歴史研究の成果をふまえて、韓国と日本が問題の本質的解決をする以外に、慰安婦問題の解決方法などありません。
今回の慰安婦少女像の設置容認は、韓国で政治が市民の力に負けたということです。それに対して日本政府はまだ政治の力に訴えようとしているようです。しかし、民主主義社会における政治というのは行政であれ立法であれ、市民のための存在であり、その行動の正当性は市民の合意があってはじめて担保されるものです。慰安婦問題の解決なくして日韓関係が改善されない中で関係改善を望むなら、日本政府も政治の力を振りかざすのではなく、韓国の人々が納得できる解決法方を韓国政府と協力して探っていくべきです。もっとも、日韓の関係改善は不可能であるとの前提に立つというのなら、別の方法を考えるしか無いのかもしれませんが。