モテるようになった二村さんが苦しかった理由
まく あわせて『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』(文庫ぎんが堂)も読みました。二村さんは2012年に文庫版『すべてはモテるためである』を出版した後、『恋とセックスで幸せになる方法』(2011年、イースト・プレス)の文庫版『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』を2014年に作り上げています。
『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』に掲載されている信田さよ子さんとの特別対談で、信田さんは二村さんの深層心理にある女性観に対して鋭い指摘と痛烈な批判を行っています(P.280-281)。そうした中で、二村さんもまた、自分の真の弱さと向き合わざるを得なくなるんですよね。また、あとがき(実質的はライター・丸山桜奈さんとの対談)では、二村さんの中に「女性に悪いところや弱いところがあることを許せない」自分がいること、そして「それは二村さんが自分の中に悪いところや弱いところがあることを受容していないから」だと丸山さんに指摘されます(P.290-291)。この二冊の本の執筆過程が、まさしく当事者研究なんだよな、と思いました。
杉田 モテるようになったのに、かえって心が苦しくなった、とも言っていましたよね?
まく 『すべてはモテるためである』(2012年版)の第5章「モテてみた後で考えたこと」に、そのように書かれています。2002年に『モテるための哲学』を出した頃から二村さんはモテはじめたそうです。最初は非常に楽しかったが、途中から【モテているのに、心が苦しい】という状態になった。お付き合いしている相手が苦しんでいることがよく分かるから。そうして次第に、二村さんは【加害者意識】がつのりはじめた、と。
杉田 はい。加害者意識と言っていますね。
まく それで、二村さんがお付き合いしてきた女性たちに対する、いわば罪滅ぼしのようなつもりで書き上げた『恋とセックスで幸せになる方法』が、中村うさぎさんに「二村さん自身が全然出てこない」と批判されています。その後、文庫版『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』を編集する過程で、二村さんは自身の女性嫌悪や男性嫌悪(≒自己嫌悪)にも気づいていくわけですね。
罪滅ぼしのつもりで当初は書いていたが、実は自分を守るために書いていた。自分の弱さを見つめられず、目を背けていた部分があった。二村さんがモテて心が苦しくなったのも、そこから来ていたのだ、と。『すべてはモテるためである』『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』を通して読むと、二村さんのプロセスがよく分かって、とても面白かったです。
「肉食系のこじらせ男性」と「非モテ系のこじらせ男性」
杉田 ところで、実はですね……二村さんの本はとても素晴らしい本だと思うんですけど……僕はあまり、のめり込んで読めなかったんですね。うまくいえないけど、自分の中に妙な警戒感もあって……それをなんといえばいいか……。
まく ふんふん。
杉田 二村さんは「肉食系のこじらせ男性」で、僕は「非モテ系のこじらせ男性」だと思うんですね。似ているところもありつつ、基本的にはあまり似ていない。似ていないはずなのに、言っていることが何となく似通ってくる。それはどうしてなのか。もやもやっとした、直感的な警戒感があります。この本に関しては、少し僕には語り難いもの、語ることをためらわせるものがあって、それが何なのか自分でもよくわかっていないんですね。その正体は何なんでしょうね?
まく うーん、何なんでしょう。
杉田 二村さんの本は、確かにいわゆる肉食系のモテ本とは違います。そのことへの率直な驚きもある。けれども、ぐるっと回って、やっぱりタイトル通りでもあるんですよね。「すべてはモテるためである」。
肉食系でも草食系でもなく、いわばウツボカズラ的なモテ本というか。読者の自己嫌悪も、変わりたいという気持ちも、そこにのみこまれていく。ここに共感するのは(少なくとも僕としては)ちょっと危ういぞというか……正直にいえば、そういう気持ちがあります。この「モテと非モテのアリジゴク」から降りる自由、精神と肉体が解き放たれる自由も同時にあってほしい。まくさんには、そういう息苦しさはありませんでしたか?
まく 僕には、そういう息苦しさは感じませんでしたね。二村さんは「肉食系のこじらせ男性」だと思うし、僕も「非モテ系のこじらせ男性」だと自認しています。「言っていることが何となく似通ってくる」という感想は僕も持ちました。二村さんの本には杉田さんの『非モテの品格』(集英社)と共通することが書かれていると感じていて、僕はどちらの本もとても面白く読みました。
例えば、自己開示やユーモアについてのくだりは、書き方は違っても同じようなことが書かれていると思ったんですね。「相手に自己開示して、それで相手に笑われると、自分の気分が良くなるんだ」という部分は『非モテの品格』のユーモア論に近いものがあると感じて面白く読んだりしました。
杉田 なるほど。
まく 他にも、できるだけ人に優しくあろうとするスタンスとか、「目の前の他者を愛そう、そのまま受け容れよう(尊重しよう)とすることこそが、自分を尊重することにつながるんだ」というスタンスとか。僕は、二村さんと杉田さんの本を響き合わせながら、自然と読んでいましたね。
杉田 なるほど。うーん。だとすると、僕の中のこの抵抗感は何なんですかね……。
たとえば二村さんにとっては、こういう本を書くこと自体が、二村さん自身の新たな「モテ」の触媒になっていませんか? 僕の書くものはむしろ「君の人生の問題に独りで対峙してくれ、僕は自分で苦しみ、自分で幸福になるから」という突き放しがあると思うんですね。これって、単なるルサンチマンなんですかね(笑)。
まく いやー、どうなんでしょうかね(笑)。
杉田 自分でもよくわかんなくって。