女性を殴り、腹を切り裂くドラマを「ポリコレ棒」でぶん殴らない理由『ウエストワールド』

【この記事のキーワード】

 ホストの真の開発者アーノルドは人間の心の発達過程を階層としてとらえ、下から記憶、直感的判断、自己利益と上がっていき、頂点にあるものを自由意思である「意識」と考えた。これは米国の心理学者ジュリアン・ジェインズが『神々の沈黙』(紀伊國屋書店)の中で提唱した二分心論にもとづくものだ。

 ジェインズは古代ギリシアの叙事詩『イーリアス』を引き、その中で当時の人々が心や意識という言葉を用いず、行動を起こす動機が全て「神の声」によって表現されていることを指摘した。何らかの行動を起こすための感情や合理的思考である「意識」とは言語の発達により生み出されたもので、古代の人にはそれが心の中の「声」として捉えられたというのだ。実際に子供が成長する発達過程を観察しても、人間の抽象的概念を操作する思考は視覚的書き言葉ではなく聴覚的な話し言葉である内言によって構成されると心理学では考えられており、統合失調症の症状である幻覚の特徴は、幻視ではなく、自分の思考が他者の声として知覚される幻聴にある。さらに問題解決や推論といった認知機能障害を持つ脳損傷患者の多くが言語の聴覚処理を司る左側頭葉に機能障害を負っていることが報告されている。

 アーノルドは「神」としてホストたちから「意識」を奪うために、その入り口である「記憶」を封じ込め、さらにあらかじめ彼らの行動を規制するプログラムを頭の中に響く「声」としてコードしたのである。

(以降、ネタバレが含まれます。ドラマの本質的な面白さを損ねるものではなく理解を深めるための考察ですが、気になる方は本編をご覧になってからお読みください。)

 しかしアーノルドは世界の美しさを素直に希望につなげていく素朴な心を持たせたホスト、ドロレス(エヴァン=レイチェル・ウッド)に接していくうちに、あることに気がつき始めた。自分がピラミッドのように考えていた人間の心は実は円形の迷路のような形をしており、そこに放たれたビー玉のようにいつしかホストたちも「意識」の存在する中心にたどり着いてしまうということを。つまり、人間の「自由意思」とは誰かが与えたりするものではなく、あらかじめ全ての人間の心の中に存在するのだというテーマをこのドラマは内包しているのである。そしてフォードがいみじくも指摘したように、ミケランジェロが「アダムの創造」の右奥に置いた神を脳のシルエットを用いて描いたことを考えても500年も前から人類はそれに気づいていた。

「アダムの創造」

「アダムの創造」

 アーノルドは、ホストたちが人の心を持ったまま「モノ」として扱われる悲劇が到来することを悟り、自分の死を持ってウエストワールドの閉園を訴えるが、パートナーのフォードはそれに応じなかった。しかし目の前で娘を殺されたホストのメイヴ(タンディ・ニュートン)がPTSD症状を発し、記憶抹消後もその記憶が何度もフラッシュバックしたように、「芽生え」はそこかしこで起こっていた。そこに流れるのはドビュッシーの「Reverie(白日夢)」。字幕では夢幻と訳されていたがこの場合起きていながら見る夢、「白日夢」と訳した方が適切ではないかと私は考える。

 精神分析家ビオンは、突然に物事を理解できたり、ひらめきが生じる現象を、人間は起きていながらも無意識においては夢を見ていて、その中で無意識から意識に概念をのぼらせる過程を繰り返し、思考を形成していると説明し、その精神機能を“Reverie”と名づけている。またPTSD治療では、夢を見ている際の急速眼球運動を人為的に再現しながら外傷的記憶の想起を行うことで、人格への記憶の統合を促す。苦痛を伴う突然の記憶の想起は、ホストたちがいつしか「意識」にたどり着き、自ら自由を獲得するようアップデートするプログラムReverie(レヴェリー)であったのだ。ドロレスやメイヴは目覚めていながらも、血を流し、肉が切り裂かれる痛みを伴った記憶が侵入的に蘇る「白日夢」を繰り返し見る。そう、外傷的な痛みを伴う記憶が自己に統合されてはじめて、人間は自分の深奥に至り、「自我」私は私であるという意識を獲得するとこのドラマは示唆している。

1 2 3

「女性を殴り、腹を切り裂くドラマを「ポリコレ棒」でぶん殴らない理由『ウエストワールド』」のページです。などの最新ニュースは現代を思案するWezzy(ウェジー)で。