引き継ぐことのできない父のプライド
抑圧のループから距離をとっているように思える保は、子どもの頃から父の言うことを聞くし、仕事にも就いており、結婚して家族を持つよきパパになったため、最初は清の抑圧から多少は逃れられていました。でもそれは、一時的にそう見えていただけで、保がリストラされたとき、清の抑圧から解放されていなかったことが露見してしまいます。
転職活動がうまくいかない保は、清が親から譲り受けて切り盛りしているお店を「引き継ごうかな」と呟くのですが、清はきっぱりとそれを拒否します。家父長制に縛られている清は、本来であれば、息子に資産やお店などなんらかを譲って、自分は隠居をするということで「家を引き継ぐ」ことになるはずです。つまり、父の座を譲り、息子を家父長にするのが、家父長制を信じている人の姿でしょう。しかし、清は家父長制を信じているにも関わらず、自分がいつまでたっても、父の座を退くことができず、下の世代である保に受け継げなくなっていることがわかっているのです。
韓国映画『国際市場で逢いましょう』も家父長制の話でした。その中の父親もまた、清のように、小さな商店を営んでいました。『国際市場』では、戦争で生き別れになった家族がいつ戻ってきても会える場所であるようにという意味でその商店が存続していたのですが、同時に父親のプライドでもありました。しかし、年老いた父は、生き別れになった家族の消息を掴んだことで最終的に商店を手放すと決意し、それを聞いた妻は「あなたも成長したわね」とつぶやくのです。子供は独立して別の仕事をしており、お店を受け継ぐわけではありませんが、父親がプライドであった自分の店を捨て隠居することで、次世代に父の座を譲ることに成功しているのです。家父長制がいいというわけではありませんが、家父長制が根強く、そしてそれを引き継ぐことが可能な時代には、そうやって引き継がれるものであったのがわかります。
『葛城事件』は父が息子に何かを引き継ぐことができなくなった現代をリアルに描いたものでした。「国際市場」と「葛城事件」は、一緒に見ると、家父長制の表と裏のようでもあると言えるでしょう。
清に抑圧をかけたものは、あるはずだった未来
さきほど、父親の清が抑圧の根源のように書きました。抑圧が抑圧を生むとしたら、清にとっての抑圧を生んでいるのは何なのでしょうか。それは、息子たちが自分の思い描いたような大人になれなかったことです。「自分だったらお前の歳にはマイホームを建てていた」「大学を卒業して立派に仕事をしていた」昔ならば当たり前にできていたことが、叶わなかった。それが清にとっての抑圧です。その抑圧は、息子を通してはいますが、実は思い描いたように成長しなかった社会が原因だということになります。息子に店を継がせられないのも、次世代に自分が信じていた家父長制を継がせられないのも、そこに重なります。
『葛城事件』は、清の異常な行動が話題になりやすい映画だとは思いますが、それでも清やこの家族を、まったく他人事とも思えないようにもできています。そう感じるのは、見ている我々の中にも「思い描いたような未来になっていない」という実感があるからだと思います。そんな中でも、なんとか朗らかに生きている人がいるとしたら、古い因習や、男とは、女とは、家とは、といったしがらみからある程度距離を置き、「思い描いていた未来なんかこなくても仕方ないよ」とあきらめられている人なのかもしれません。
この映画からは、「男はつらいよ」「家父長制はつらいよ」という叫び声が聞こえているようでした。
(西森路代)
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