社会

「ルールではなくマナー」東急電鉄マナー啓発キャンペーンの伝わらなさ

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ユーザーを信じすぎた啓発クリエイティブ

 東急電鉄が座席篇で見せたかったのは「マナーが良い人/悪い人」の対比だ。しかし、2点の見誤りがあって、ユーザーが疑問を感じるクリエイティブになってしまった。

 1つは、座り姿の美しい人を表現する際に「ヒールの似合う人」とジェンダーに触れる表現を使ってしまったことだ。ヒールを履くのは女性だけではないという見方もできるが、座席篇のポスターに登場しているのは女性であろう。女性ジェンダーをメインコピーで打ち出してしまったせいで「マナーが良い人/悪い人」の他に「女性/男性」という性別対比の文脈が生まれてしまった。

 そのせいで、昔から「女の子なんだから脚を閉じて座りなさい」と教育されてきた女性たちの反感を買った(批判者にはもちろん男性もいる)。体格差や周りの目に怯えて大股開きや脚組みをする男性に注意できず、日々我慢を強いられているストレスもあるだろう。怒りというよりも「迷惑しているのはこちら(女性)なのに、マナー違反者には指摘せず、ヒールを履いて美しく座ることまで鉄道会社に強いられなければいけないのか」という落胆を感じた人が多かったのではないだろうか。

 座席篇への批判の中で「なぜ東急は女ばかりに訴えかけるのか」という意見があったが、それは誤解である。「わたしの東急線通学日記」では過去に、音漏れ篇、歩きスマホ篇で主人公が若い男性をダンスで非難する姿が描かれている。また整列乗車篇では、中年の男性に対してもマナーダンスを踊っている。シリーズで見ると、東急電鉄が女性にばかりマナー違反を指摘しているわけではないことがわかってもらえるだろう。

 もう1つは、ユーザーの善意や良心を信じすぎていた点だ。

 東急電鉄のマナー啓発ポスターのコピーには、音漏れ篇で「ダサい」、車内化粧篇で「みっともない」、座席篇で「美しい」と、個人の主観的な美醜の感想と受け取れる言葉が使われている。

「『マナー違反を見たお客様が感じる気持ち』を表現することで、お互いに配慮することの大切さに気付いていただきたい、共感していただきたい、という主旨でシリーズを制作しています」

 東急電鉄の意図としては、コピーで表現したのはあくまで主人公の気持ちだった。

「どんなにカッコいい音楽を聴いていても、音漏れしてたらダサいなあ(自分も気をつけよう)」
「あの女性は、座っている姿がきれいだな。ヒールも似合っていて素敵だな(私もああなりたい)」

 見る人にそんな共感が生まれることをはかり、マナー意識の向上を狙ったのだ。ユーザーには、主人公と同じ視点に立つことが求められていた。

 しかし、電車内で主人公と同じように気付きを得られる思考を持つ人は、すでに日常生活の中で気付きを得ている。日常で気付きを得られない人は、ポスターを見ても気付けない。前者のマナー意識ばかりが向上してしまい、マナー意識に差が生まれてしまっているのが現状だ。実際に隣に座っている人の不快感に気付けない人も、ポスターを見れば気付いてくれる(かもしれない)。そんなことがあるだろうか。東急電鉄がユーザーの良心を信じてくれたことは嬉しいけれど、現実はそう上手くはいかない。

 Twitterでは、批判者に対して「東急側の意図が汲めない方がおかしい」と指摘する人もいた。だが、今回は批判者の多くが東急の意図を理解していたと思う。その上で、やはり「このアプローチでは、届いてほしい人に届かない」と感じたため、声が上がったのだろう。

 東急線を利用する男性にもポスターを見てもらった。彼はすぐにこのポスターの意図を理解し、ぼかされている足癖の悪い男性2人の姿にも気が付いたそうだ。この啓発で電車内のマナーが改善されると思うか聞いてみた。

「でも、もしマナー違反をしている人に行動を変えてほしいならば、もっとインパクトがあって尖った表現にしないと目に留まらないと思う」

 東急電鉄は広告制作で意識した点について「インパクトを与える表現を目指した」と答えた。そのインパクトも、マナーを意識している人ばかりが食らい、マナー違反をしている人がノーダメージでは困ってしまう。

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