社会

「ルールではなくマナー」東急電鉄マナー啓発キャンペーンの伝わらなさ

【この記事のキーワード】

期待し合う鉄道会社とユーザー

〈マナーの基本は、相手を思いやり、尊重する心を、自然でスマートに実践することです。〉
(『改訂版「さすが!」といわせる大人のマナー講座』p.16)

 マナー啓発の難しい点は、思いやりや人を尊重する心を持ってもらうように誘導しなければならないことである。ただ「○○してはいけません」というだけだと、マナー啓発ではなく命令やルールの徹底になってしまう。実際にマナー違反をしている人びとに対して、この言葉はどれほど響くだろうか。そう考えると、東急電鉄のポスターが表現しようとチャレンジしていたのは、まさに「思いやりの醸成」だった。単に「大股開きはやめましょう」だと、マナーではなくルールの話になってしまうからだ。制作者は、マナーとは何かについてよく調べたのだと思う。

 反面、そんな悠長なことは言っていられないというのがユーザーの心情だった。

 東京で暮らしていて、電車内で他人に「迷惑だなあ」「困るなあ」と思ったことがない人は少ないだろう。1人で1.5人分もスペースを使うような大股開きでの着席、脚を組んで他人を蹴ってしまったりつまづかせたりすること。注意するのは怖いし、注意しても「何が悪いんだ」と逆切れされたら嫌だ。インターネットでは「男は睾丸を冷やす必要がある」「女と違って男の脚は勝手に閉じないんだ」とトンデモな言い訳まで出てくる始末だ。そんな現状に嫌気がさしていた人たちに「鉄道会社側がきちんと注意してくれたらいいのに」という願いがなかったとは考え難い。

〈「マナー」「礼儀」は社交上の心、「エチケット」「作法」は社交上の型や常識的なルールのことであり、それらが車の車輪のように整い、バランスよく発揮されてこそ相手とよりよい人間関係が築けるのです。〉
(『改訂版「さすが!」といわせる大人のマナー講座』p.17)

 ユーザーの良心や善意を信じ、啓発による「気付き」でマナー改善していきたい鉄道会社。電車内で生じるストレスに疲れ果て、鉄道会社や警察などにルールの徹底を願うユーザー。今回の座席篇では、そんなお互いの期待がすれ違ってしまった。ユーザーの善意に頼るマナーと、鉄道会社が主導するルール。互いの信頼のためには、その境界をはっきりさせ役割分担することが必要だ。

 例えば、イギリス鉄道警察(BTP)では性的迷惑行為を取り締まるキャンペーン「Report It To Stop It」(通報してやめさせよう)を展開した。

 キャンペーンサイトの中で「通報する際に、それが犯罪行為なのか、そもそも故意だったのかを証明する必要はありません。BTPがあなたに代わって調査します」と役割分担を明確にしている。ユーザーに望むことと、鉄道会社側(この場合は鉄道警察側)の対応範囲がわかりやすい。

 日本の鉄道会社も、まずはぜひ「ここまではルールでなんとかします、ここからはみなさんのマナーで解決してほしい」という意思表示をしてもらいたい。きっとその方が、ユーザーに当事者意識が芽生えるし、鉄道会社を頼りやすくなるはずだ。

ユーザーをハッと気付かせる勇気

 多くの人にハッと気付いてもらう広告クリエイティブは難しい。

 特に交通機関という公共の場では、年齢や性別、教育の深度などバックグラウンドの違う人がごちゃ混ぜに存在している。そのため、ターゲット設定が難しく、狙う的が広すぎるために「刺さる広告」を作るのは至難の業である。

 東急電鉄は、「わたしの東急線通学日記」の動画でダンスを用いた理由について「印象に残るようインパクトのある表現を取り入れた」と回答した。確かにインパクトはあったが、そのインパクトの力を生かしきれず、ユーザーがハッと気付く体験を得られなかったのが残念だ。

 ユーザーの良心や善意を信じる東急の姿勢は素敵だ。しかし、見る人の心を刺しハッと気付かせるためのインパクトを持つ広告を作りたいならば、制作者側には、ターゲットをグッと絞る勇気も必要だ。
むらたえりか

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