横浜市教委「いじめとは言えない」発言以上に問題だった、学校のおざなりな対応

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報告書では加害児童らの「積極的にお金を見せて配っていた」という証言とともに、被害児童が「おごるように言われた気持ち」になっていたということが記されています。小学5年生の児童であれば、いじめていた側にその自覚がなければ、自らが行っている行為が「かつあげ」であるということを理解していなかった可能性もあります。加害児童側は金銭を要求したり、おごってもらうことを求めたりをしたことは無いと言っていたそうですが、 報告書には黒塗りが多く、実際にどの被害児童との間でどのようなやり取りが行われていたのかがわかりません。これを発表した横浜市教育委員会が意図的に隠したのだとすれば、「いじめではない」という判断を覆したくない意図があったと思われても仕方ありません。

一方、このような「おごる・おごられる」関係について報告書は、学校や教師が表面的な対応ではなく、被害児童の内面的な葛藤に注視することができていなかった点を問題視しています。たとえば、学校側は金銭の問題について、被害者児童のいう金額と関係児童のいう金額に相違があることなどから、「正確な金額がわからないのでその対応は警察に任せたい」「返金問題には学校は関与しない」としていました。しかし、そもそも「おごる・おごられる」こと自体、教育的指導・支援の対象とすべきではないか、と報告書は問題提起しています。

いじめ被害者の救済は最優先されるべきです。しかし小学校でのいじめ問題の難しさは、加害者も子どもであるという点でしょう。今回も、加害者とされる児童たちへの人権の配慮などから、かなり慎重にならざるを得なかったようで、いじめ加害者とされる児童やその保護者への直接の聞き込みなどは行なっておらず、学校が用意した書類での分析にとどまっています。しかし、対応を間違っていた学校が用意した文書に依拠していじめ認定の分析を行うことに、そもそもの限界があります。

いじめが起こっていたとされる時期からかなり時間が経ってしまっていて記憶も曖昧になっている点、関係児童たちも中学校進学を控えた時期である点などを配慮して、加害児童にもその保護者にも聞き込みをすべきではないと言う判断が、今回の調査で加害児童に聞き込みをしなかった理由とのことです。しかし、これは被害者側にとって到底納得できるものではないでしょう。被害児童の人生よりも、加害児童の人生を優先したようなものです。この点については、少なくとも加害児童の保護者に対しては聞き込み調査を行うべきであったと思います。

報告書では「せめて1年前に調査に入ることができれば、詳細に実態を把握し解明にもより正確さのある調査が可能であったと考えると、もっと早く着手できれば当該児童の苦痛もなかったのではないかと悔やまれる」といった表現が記されています。今回の調査でいじめの実態について解明できない部分があったことの原因として、学校の対応の遅れ、学校と保護者のコミュニケーション不足や、スクールソーシャルワーカーなどの専門職が機能していなかった点などです。こうして報告書を見ていくと、学校が何も具体的な対応をせずいじめを見過ごしたがために、被害児童が追い詰められていく様子がうかがえます。

最初に書いたように、今回のいじめ、そして教育委員会や第三者調査委員会の対応について、怒りの声が多く上がり、それを受けて横浜市長の謝罪がありました。報告書が「おごる」行為をいじめと認定しなかった点については納得がいきません。しかし、報告書が提起するように、学校が教育的指導・支援を通じて「児童の内面的葛藤」に対応するとともに、保護者やスクールソーシャルワーカーといった専門家としっかり連携していれば、ここまでの事態には至らなかったはずです。今回のやりとりを受けて、横浜市のみならずあらゆる自治体の教育委員会や学校が、いじめ問題に本気で取り組むきっかけにしてほしいと思います。いじめは時間が経ってしまってからでは遅いのです。いじめが起こっているそのときに対応しなければ、被害者の傷はいつまでも癒えることなく禍根を残すことになるのだということを理解してほしいと思います。

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