
(C)messy
私がまだ出産など考えもしなかった数年前、当時の職場の友人A(1児の母)が言っていた。
「二人目はちょっと考えられない……」
彼女は一人目を帝王切開で出産し、その子供ももうすぐ小学生になろうかという年齢だった。
子供好きで、経済的にもゆとりがある家庭の主婦であるはずの彼女から出たその言葉は意外で、自然な会話の中で理由を聞くと、「お産があまりに辛かったから」だと言う。
当時は出産に関しては無知の領域だったので、漠然と「麻酔が効かなかったのかな?」なんて浅はかなことを考えていた。
「出産」の痛みは「鼻からスイカを出すような衝撃」だとよく例えられてきたが、私も出産に対してはそんなイメージを持っていて、何時間にも及ぶ陣痛や、産み落とす際にあんな小さな膣から人間がひとり出てくることに、「大仕事」だという尊さと、恐怖心を抱いていた。
帝王切開が楽だと思っていたわけではなく(そもそも手術は自分のテリトリーに存在しないレベルで恐怖だったので)、帝王切開の辛さや痛みのことなど当時は知ろうともしていなかった。
“100%スムーズにいくお産なんてこの世には存在しない”
ちょうど、私が妊娠期間を送っていた頃に放送していたテレビドラマ『コウノドリ』(TBS系)では、毎回のようにその言葉を象徴するかのような「想定外」の出産を表現していた。
この時私の妊娠経過は極めて順調、体格的にも出産向きと言われ、「お産に100%安心安全はない」と頭では分かっていても、なんだかんだで自分はスムーズに出産に至るんだろうな、なんて呑気に構えていた。
出産予定日を過ぎてからも経過は順調だから大丈夫、と言われていた。
ところがある瞬間から状況は一変し、結果「緊急帝王切開」となった。
帝王切開は混乱とともに
外国の出産事情を見てみると、日本と違い、特別必要がないのに帝王切開になるケースも珍しくなく、医療事情などから隣国である韓国も40%程度、ブラジルに至っては半数以上が帝王切開で出産する流れとなっていて、別に普通分娩とまったく変わりない「一般的なお産方法」だそうだ。
日本では帝王切開により出産に至るケースは約5人に1人の割合。
出産にあたり特に母子共に異常が認められない場合は、自動的に普通分娩が適用される(妊婦自身は選べない)。
予定帝王切開も含め、20%の割合で「帝王切開をしなければ何らかの危険が伴う可能性がある」、と判断されたお産になるということだ。
私の場合は、予定日を10日超過しても陣痛が起こらず、陣痛誘発の処置を行っている最中に静かに破水し、気づかぬうちに羊水が減り胎児心拍が落ちたことによる緊急帝王切開だった。
私もそうであったように、お産のイメージと言えば長い陣痛を耐え抜いて命を産み落とすもので、「帝王切開」はもちろん知ってはいるけどパッとお腹を開いて赤ちゃんを取り出して縫うイメージで、何がどう辛いのかなんて考えたこともない……そんな日本人は多数いるのではないかと思う。
後述するがこの「帝王切開」、とにかく辛く、出産に於ける私の感想を一言で述べるのなら「死ぬ思いで産んだ」と言っても過言ではなかった。
5人に1人は帝王切開なのだから、その割合だけを見たら、死ぬ思いだなんていう表現をすると大げさに見えるかもしれないが、私にとっての事実は事実なのだから仕方ない。
もはや、私の中ではこの辛い経験が世間の統計的に「珍しい」か「珍しくないか」なんてことはどうでも良かった。
「お腹を切って産んだ」という報告を、大事件のテンションで知人や友人にメールすると、ちょっと意外な反応が多かった。
「産まれるまで一瞬なんだから良かったよね」
「陣痛の長い時間がないんだから、自然分娩よりいいじゃない」
これらの言葉に悪意はないのだろうが、退院後にこんな言葉をかけられることも少なくなかった。
私自身、帝王切開を経験していなければ、こんなやり取りを第三者として聞いていても、耳にも残らないようなレベルの会話なのかもしれない。
労いの言葉を返してくれた2~3人は、自身が帝王切開での出産を経験したか、身近に帝王切開をした人が居て、その詳細をよく知っている人だった。
私が言いたいのは「帝王切開は大変なのだからもっと労ってほしい」ということではない。
別にそれ以上踏み込まれたわけではないが、「言われた」だけで、えぐられるような憤りとショックは隠しきれず、つい相手のテンションと釣り合わない勢いで反論してしまったことがある。
だが本当に厄介なのは、帝王切開で産んだ事実が、(ただでさえ本当に色々ある)育児生活の中で、「こうだったから、こうなったのだ」などと色眼鏡で決めつけをされることだろう。