産院によってもまちまちらしいが、恐らく帝王切開を経験した母親たちは、一連の流れとして皆、同じような経験をしてきたのだと思う。
私の場合は緊急帝王切開だったので、何の心の準備もできていないまま分娩台に連れて行かれ、ぶっとい点滴を刺された。
周りのバタバタとした緊迫感と、今からどうなるのか想像もできないことの恐怖で、あの時の記憶は恐らく一生忘れないだろう。
そこから導尿(これ、本当に痛くて叫んだ)、剃毛、あれよあれよと腰椎麻酔。
病院も医師も看護師も全然悪くはないのだけれど、手術はおろか入院すらしたことのない私にとってのこれは、渡航できないレベルで治安の悪い国に飛び、いきなり武装勢力に拘束されたような気分だった。
もちろん「殺される」だなんて思わなかったけど、「赤ちゃんを安全に産んであげるためだ」なんて土台がしっかり固まったような考えには到底至らず、ただただ混乱の最中にいた。
激痛の麻酔が終わると、下半身が一切動かせない(麻酔が効いたため)恐怖に襲われ、恐らくメスを入れたであろう瞬間からは大量出血により意識が遠のいていくのがわかった。
後から聞いた話では、この時の出血量は1580ccだったそうだ。アカギならもうあとマンガンツモされたら死んでいる。
とにかく、痛みと苦しさと、持続しっぱなしの恐怖とで、恐らく人生で類を見ないレベルで心身ともにダメージを食らった。
息子が誕生した瞬間はこの世のものとは思えないほどの幸福感に包まれたけれど、そんな息子もすぐに別室に連れて行かれ、私はそのまま観察室で一人、一晩過ごすこととなる。
「やり切った」……幸福感と安堵感で胸がいっぱい。
でも、こんな「人ひとりこの世に誕生させた」喜びをも、一瞬で苦しみの波が連れ去っていくこととなる。
続く痛み、混沌、不安
第一関門は「後陣痛」だ。抗生物質の点滴に子宮促進剤が含まれているらしいから、避けて通れない痛みらしい。
のた打ち回りたいけど、切開部が痛くて動けない。
「え!? これ、合ってる??」と再び混乱を来たすほどの、それまで経験したことのない痛みに襲われながら、ひとり唸り続けること7時間。気づいたら朝になっていた。
早く、息子に会いたい。一晩超えて、ちゃんと無事に生きてるだろうか? 息はできてるだろうか? ミルクは飲めてるだろうか?
私が出産する直前のように、またバタバタと看護師が走ってきて、悪い知らせを持ってきたらどうしよう……。
まだ生々しい恐怖の記憶がぬぐえないまま、不安いっぱいになりながら世話役の看護師が来てくれるのを待った。
朝からは早速歩行させられる。私の産院では手術の際の麻酔(メスを入れる→縫う痛みを避けるためだけの麻酔)のみだったので、術後数時間で麻酔が切れてからは完全にまっさらな状態でリアルな傷の痛みと闘うことになる。
この歩行がまた激痛。点滴をさしたままま保育器に入れられている息子の元にやっとたどり着いたとき、ああどうやら無事生きているらしい、ということは分かったものの、生まれてからまだ一度もろくに触れることのできていないその身体を見て、「私はちゃんと五体満足に産んであげられたのだろうか……」という不安のほうが大きい。
見渡すと、同じ日に自然分娩で産まれた赤ちゃんとその母たちが密着して愛おしそうに授乳しているというのに、目の前で泣いてる我が子を抱いてやることすらできないことに、切なすぎてボロボロ泣き、看護師が窘めてくれる言葉すら耳には入ってこなかった。
もちろんこんな状態が何日も続いたわけではなく、手術から1~2日というレベルでのことなのだが、この時の精神状態はヤバかった。
24時間は水一滴も飲めず、やっと食事再開された翌日午後は、産院特製「ご出産御膳」ではなく、白湯のみ。
出産したことには変わりないのに、めでたい感はゼロに等しかった。
それからも点滴・抜鉤(塗った後の皮膚を止めているホチキスのようなものを抜く作業)などを経て、1週間後にやっと退院。
退院後1カ月は貧血と傷の痛みがひどく、産後7カ月経った今も、落ちた腹筋を取り戻せておらず身体は不調続きだ。
当たり前のことだけど、私だけがこんな思いをしたわけではなくて、第一子を(特に緊急帝王切開で)出産した母親はこれに近い経験をしたことだろう。
私の周りには、「帝王切開は“出しただけ”」という認識を持っているとしてもそれによって深く傷つけるような言葉を投げかけてくる人は幸い居なかったわけだが、中には古い考えを持った実母や姑、また無知な知人や友人、無神経な親戚などによって、ひどい言葉や態度を向けられて傷ついた、たくさんの(帝王切開で産んだ)母親もいるだろう。
私の知人Mは、3年ほど前に緊急帝王切開で第一子男児を出産した。
彼女の妊娠経過はすこぶる良好だったが、陣痛前に破水し、お産の進み具合が思わしくなかったことから急きょ緊急帝王切開に切り替わったらしい。
Mも出産する以上は、可能性として、自分が帝王切開になるかもしれないぐらいのことは妊娠中に知識として把握していたはずだ。
しかし実際そんなのは旅行に行く際に代理店から「一応保険に入っておかれた方が安心ですよ」とか言われて「そうですね、じゃあオプションに付けといてください」と承諾するのと同じレベルのことなのだ。
そうしたら本当に飛行機が不時着したとか、パスポートが盗まれたとか、そんな時にすぐ「ああよかった。保険に入っておいて……」だなんて受け止められるだろうか。とりあえずパニックになるだろう。まさか私が! と。
結局、保険加入するときに本当にその事態に陥ることなど想像していないわけで、緊急帝王切開もほぼ同じようなものだと私は思う。自分のことを、平凡で普通などこにでもいる一般人だと思っているし、本当のところ、覚悟などできていないのだ。
Mも「まさかこの私が……!?」と顔面蒼白状態で受け止められず、手術の説明など全然頭に入ってこなかったそうだ。
自分が「突然」切り刻まれることも不安、赤ちゃんの状態が芳しくないことも不安……
そりゃそうだ。ここまで約10カ月、大事に大事にしてきた命(自分を含め)なのだから、それがここにきていきなり「やばいです。切ります(要約すると)」という事態になりパニックを起こすのも仕方ない。
その後Mは無事出産、母子共に予後良好で1週間後に退院となったわけだが、彼女の本当の苦しみはその後に潜んでいた。
もともと腰痛持ちだったMは、産後、傷をかばって歩くばかりに腰痛を悪化させ、日常生活にも支障をきたすレベルになっていた。
赤子が泣いても当然、抱っこなどできない。それを見た実母からは「腰痛が辛いだなんて。Mはあの辛い陣痛を経験しないで産めたんだからラッキーよ」と言われ、
その翌年の正月、夫側の親戚の集まりの際には、「色々あったようだが無事赤ちゃん産まれてよかったね」という周囲の言葉に「何とか産めました」と返したのに姑が間髪入れず「Mさんの場合は産んだじゃなくて“出した”でしょ」と言ったのだそうだ。
また、未婚の友人から「私も帝王切開がいい! 切ってポンッと産めたらいいなぁ~」と無知の極みとも言える言葉をぶつけられたそうで、これも相当キツイ。
どれもこれも、自身が帝王切開での出産を経験したことのない人達からの言葉なわけで、やはり「無知」この一言に尽きるのだろう。
その類の知識や経験がない人から「あなたはいいね」と言われることはこの世にはよくある話。
私も祖父母の介護込みで実家住まいをしているとき「家賃いらないし楽でいいね~」と言われたり、産後なかなか仕事が決まらない時期には「専業主婦はいっぱい時間あっていいね~」などと言われた。
実際は、介護は壮絶で早く安息の場所を持ちたいと思っていたし、専業主婦の時もやることが山積みなのは勿論のこと、自分で「働いてない」という引け目を勝手に感じていた。仕事で疲れて帰宅した夫が寛いでいる時、自分も同様に疲れてるのに(家事や育児で)動いてないと悪いという気持ちがあったし、とにかく24時間、「休み」と思える瞬間なんてなかったように思う(仕事が決まったら楽になった)。
周囲から「楽だね」と軽んじられるのは、背景に「こうあるべき」というものがあって、それを反した時に起こるのだろう。
『大人になったら独立すべき』『食べていくためには働くべき』
それと同様に出産も『陣痛を経て産むべき』というのがあるから、帝王切開は軽んじられるのだろうし、帝王切開だって後陣痛という立派な陣痛があるのだが、あまり知られていない。『長い陣痛の末に赤ちゃんを産み落とすもの』という根強いイメージがあるから、馬鹿げた話だがやはり「立派なお産」というには程遠いものだという認識でいる人は居るのだろう。