帝王切開は「産む」じゃなく「出す」!? 産婦を追い詰める世間の認識と、当事者が抱える闇

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どんな出産でも辛いのがデフォルト

Mは、さんざん軽んじられた挙句、夫の前で発狂するように泣いたという。

無知な人に軽はずみなことを言われたからといって突然気が狂ったように泣くというのはどう見ても異常事態だ。病んでると思われても仕方ない。
しかし、私にはよく理解できる。Mの話を聞いたとき、自分のことのようにショックを受けた。
「楽でいいね」シリーズは本当によくある話だが、『お産』というものに関してはそれらとは少し世界が違う気がする。

確かに、帝王切開は痛い。でも、自然分娩の際に行われる会陰切開の後も痛いというから、どっちが辛いなんて言えない。
産後の貧血だってそりゃ帝王切開の出血は自然分娩の比じゃないが、産婦の元々の体質によっても貧血の症状は十人十色だろう。自然分娩でも大量の出血が止まらなくて大変だった、という産婦もいる。
産後の母体回復も、帝王切開は遅いというが、自然分娩だって産後に様々なトラブルが起こり回復に時間がかかる人だっていると思う。
つまり、身体にきたす「辛さ」は、どっちもどっちであり、どっちも辛い。

だから産婦は、「お産とはこうあるべき」という外野のイメージから自分を守る土台作りはしっかりしておいた方が良いと思う。

まずは妊娠経過が順調であったとしても、さまざまな出産パターンの知識を備えること。
それは一般誌に載っているような「帝王切開はこういう流れです」といった人体に関わる知識だけではなく、そうなったとき、または産後精神的にどういう負担を背負うことになるのか、それに対して世間一般ではどんなイメージや意見(偏見も含め)を持っているのかを把握しておくこと。
そういった知識を、今後関わることが多いであろう周囲の人間とは共有しておくことも、かなり大事だと思う。

「辛いんだから労わって!」とアピールすることが目的なのではない。

出産方法によって身体が受ける負担の大きさや部位はそれぞれ異なれど、どんな産婦でも人ひとり産み落とすにあたって、心に大きな「ショック」を受けるのだということ。
それは「傷つく」という意味合いだけではない。
「痛い」「苦しい」「不安」「不甲斐ない」「後ろめたい」etc……
そういう気持ちを抱えるものだということを、もっとたくさんの人に理解してほしい。

もちろんこれは帝王切開だけではないのだが、冒頭で述べたように、日本での帝王切開の割合は約5人に1人。「お産は陣痛を経て行うもの」という古めかしいイメージは現状の数字に追い付いてなさすぎる。

私が出産にまつわる記憶を尋ねられれば、「辛い」の一言に尽きるものだった。
出産は神々しく何度でも経験したいと言う人もいるが、とても自分の出産時の記憶にそんな言葉は不似合だったと言える。
妊娠が発覚した時から、意に反して身体が変化し、自分の身体の中に別の生命体を感じ、可愛いだとか愛しのベビたんだとか思ったことはないけれど、ちょっとの変化すら見落としては大変だから年中検診に行くわけで、そんなこんなで大事に大事に、月日いや秒単位で歩み、母子の命を刻んできた。

それがある瞬間から一変し、心拍が落ちてるだの、すぐ切って産んだ方がいいだの、大事に大事に守ってきたものがものすごく雑な境地に立たされているというか、もちろん切らないと危ないからで医学的には安全な選択なんだろうが、ずっとお腹に命を守ってきた母の私としては、これが本当に怖くて全身が震えた。
長い間、刻一刻と共にしてきた息子の命が、この一瞬に“緊急手術”によって誕生させられようとしている。自分の身体が突如切られる怖さだけではない、あの「ショック」に似た恐怖は一生忘れないと思う。

それに、2日間も息子を抱けなかったこと。帝王切開になってしまったばかりに、他の産婦同様のぬくもりを我が子に与えてやることすらできなかった悔しさ。
どうにもならなかったとはいえ、この時私は自分を責めた。
あのとき同じ日に産まれた他の赤子たちが「お母さんに抱かれて幸せ」と思っていたわけないが(まだ産まれたてだ)、それでもただ一人泣いてる我が子は「未だにお母さんに抱いてもらえない子」なのだ、と、なぜか強く思ってしまった。

情けない不甲斐ない。想像してたのとちっとも違う。
色んなショックを消化しきれずに、ベッドで泣いた。

あれから7カ月、何てことなく息子は元気に育っているし、今じゃ嫌っていうほど抱っこだって何だってできる。
でもあの時の記憶は、人生でぶつかった「辛かった想い出」として刻まれてるのとは少し違う。
未だに産院の授乳室や病室には行きたくないし思い出したくもない。

産んじゃえば辛さなんて忘れる、とよく聞くが、それは「産んだ! やり切った!」と充実感に満ちたお産を経験したからなんじゃないか、と私は思う。あるいは、辛すぎて忘れたくて、意識的に記憶の彼方に追いやったケースもあるかもしれない。
お産というものは単に子宮で行うものではない。全身と人生ぜんぶで行うものなんだ、と強く実感している。

「お産は子宮でするものじゃない」

この本当の意味が世間一般で当たり前に認識され、どの産婦も誇らしい気持ちで過ごせる日がくることを、私は本気で願っている。

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