2014年にアメリカで刊行され、話題になったロクサーヌ・ゲイの『バッド・フェミニスト』(Bad Feminist)が、少し前に日本でも刊行されました(野中モモ訳、亜紀書房)。昨年10月にはテレビドラマ『GIRLS』のクリエイターであるレナ・ダナムが2014年に出したエッセイ集『ありがちな女じゃない』(Not That Kind of Girl、山崎まどか訳、河出書房新社、2016)も出ており、フェミニズム本の話題作がどんどん日本語に翻訳されているようで、嬉しいかぎりです。
しかしながら英語圏のフェミニズム本で、話題になったものの日本語に訳されていないものはいくつもあります。この機にどんどんフェミニズムに関する本が翻訳されればいいな……というわけで、今回はいくつかオススメの本を紹介しようと思います。こういうところでとりあげられることで少しでも注目されて、翻訳が出ればいいのですが。
ローラ・ベイツ『毎日の性差別』(Laura Bates, Everyday Sexism, Simon & Schuster, 2014)
英国の女性活動家ローラ・ベイツが中心となって立ち上げた「エブリデイ・セクシズム・プロジェクト」をご存じでしょうか? ウェブサイト(日本語も)やツイッターアカウントで、女性が日々被っている「毎日の性差別」(エブリデイ・セクシズム)事例を収集・発信するプロジェクトです。オンラインフォームやメール、ツイッターなどで誰でも自分が受けた性差別の事例を報告でき、皆で共有します。収集事例をベイツが編纂・整理し、統計情報やさらなる調査・分析を加えてまとめた本が2014年に刊行されました。
この本、あまり元気が出るような内容ではありません。女性が職場や通りなどで毎日直面している性差別事例がこれでもかというほど出てきます。中には自分が受けたことのある嫌がらせに似たようなものもあったりして、だんだんげんなりしてきます。例えば私はロンドンに住んでいた時、いきなり変な男に髪の毛を触られたことがありますし、また東池袋の図書館の外でこれまた変な男に周りをぐるぐる回られる意味不明な嫌がらせにあったことがあります。この本はこんな感じのうんざりするような嫌がらせの事例報告ばかりです。
しかしながら、読んでいるうちに不思議と安心感のようなものが芽生えてきます。今まではひとりで我慢するほかないと思っていたような嫌がらせは他の人も受けているものであり、声をあげて抗議してもいいんだ……という気分になってくるからです。多くの女性はこういう嫌がらせにあったことがあります。自分の尊厳を傷つけられたような気分になりますが、周りの人から小さなことだ、気にしすぎだ、などと言われて真面目にとりあってもらえません。こういう体験をシェアし、れっきとした性差別だと問題化することで、被害にあっても自分だけで抱え込まなくてもいいんだ、抗議して改善を求めてもいいんだ、と思えるようになるのです。
また、この本は是非男性に読んで頂きたいと思っています。男性の中には、女性が日常的に性差別を受けていることを全く理解しておらず、嫌がらせの訴えを嘘や大げさな心配だと思っている方も見受けられます。この本に出てくるようなことはほぼ全部事実で、程度の差はありますが多くの女性が毎日体験していることです。男性から性差別について発信する章もありますし、とてもオススメの本です。
モナ・エルタハウィ『ヘッドスカーフと処女膜―中東に性革命が必要な理由』(Mona Eltahawy, Headscarves and Hymens: Why the Middle East Needs a Sexual Revolution, Farrar, Straus and Giroux, 2015)
モナ・エルタハウィはエジプト系アメリカ人のジャーナリストで、『ニューヨーク・タイムズ』などに記事を書いています。『アラビアン・ビジネス』誌の「最もパワフルなアラビア女性100人」2016年度版で58位に選ばれました。エジプト生まれで、しばらくロンドンで暮らした後、サウジアラビアにも住んだことがあるイスラーム教徒です。
この本は髪を覆うスカーフから女性器切除(FGM)までいろいろなトピックをカバーしていますが、基本的にはいかにムスリムの女性たちが性に関する暴力や偏見に苦しめられているかを綴った怒りの書です。個人的な体験がたくさん書かれており、読んでいてつらくなるようなものも多いです。例えばモナは、少女の時に聖地メッカへ巡礼した際、男性の巡礼者や警官から体を触られる性的虐待にあったことを振り返り「聖地の中でも最も聖なる場所で」(p. 50)こんなめにあって大変なショックを受けたことや、2011年のエジプト革命の抗議運動でも機動隊から性暴力を受けたこと(p. 105)を書いています。しかしながらモナは、北アフリカや中東の政治状況はとくに苛酷なものだが、似たようなことは世界中で女性に起こっているとも示唆しています(p. 79)。
この本における非常に賛否両論を呼びそうな論点として、モナがムスリム女性としてヨーロッパ諸国におけるイスラーム差別を強く批判する一方、ニカブ(顔が隠れるヴェール)の禁止令を支持しているというところがあります。モナの主張では、本来はムスリム女性の問題であるべき議論が、反イスラーム的な右派と、女性のために戦ってあげているようなフリをするムスリム男性に乗っ取られているところに問題があります(pp. 61-69)。これに関する議論はとても興味深いものなので、是非全部日本語で読めるようになってほしいものです。
アマーナ・フォンタネッラ=カーン、『ピンク・サリー革命―インドの女と力の物語』(Amana Fontanella-Khan, Pink Sari Revolution: A Tale of Women and Power in India, W. W. Norton, 2013)
最後にご紹介するのはインドの草の根フェミニズム運動のルポです。インドのウッタル・プラデーシュ州南西部にあるブンデールカンド地域の田舎の村で、ピンクのサリーを着て杖を持った不屈の女たちの集団、通称「ピンク・ギャング」が活動しています(参考までに、こちらのタンブラーの写真もご覧下さい)。彼女たちは日々、ブンデールカンドに蔓延する腐敗と犯罪と女性に対する暴力に対抗するため、示威行動や政治交渉を行っています。
ギャング(といっても暴力や犯罪は行わないのですが)を率いるのはサンパット・パルです。サンパットは12歳で結婚しましたが、夫の言うことを聞いて大人しくしているのは性に合わず、裁縫の仕事でお金を稼いだり、政治活動をしたりしていました。2005年にピンクのサリーをユニフォームにした団体を結成し、翌年、不当逮捕された男性の妻からの訴えにより、ギャングの皆で警察を取り囲んで抗議行動を行いました。サンパットと仲間たちはいろいろな嫌がらせや差別にあいつつ、女性の権利と正義を守る活動を続け、どんどんメンバーを増やします。活動には親の反対で結婚できない恋人たちの結婚支援なども含まれます。
このルポは監禁され、強姦されたあげくに盗みの疑いをかけられた若い女性、シールーに対する支援活動を主な軸とし、サンパットや他のメンバーの人生模様、組織の成り立ちなどを織り込んだものです。いろいろ盛り込んでいるので時系列がごちゃごちゃしているところはありますし、また性暴力や警察の腐敗など暗い話題もたくさん入っていますが、女性たちの力強い活動はもちろん、メンバーの私生活や性格などがお昼のメロドラマかと思うような濃さで描かれており、退屈しません。サンパットが村八分にされる話などはいかにもインドの土地柄を感じさせるところがあると思う一方、日本の地方にも見受けられる陰湿で閉じた人間関係に通じるところもあって、少なくとも田舎育ちの人間にとっては国境を越えて身近に思える話もけっこう出てきます。
この本が出た後、リーダーのサンパットがリアリティショーに出演し、組織の内紛でリーダーを降りるなどということが起こったそうで、残念なことにギャングの活動は以前に比べるとあまり盛んではなくなっているそうです。とはいえ、最盛期の活発な活動には見習いたいと思うところがたくさんあります。全体的に強烈なキャラクターが出てくるルポで、インドでは映画化もされているそうですが、日本ならむしろマンガ化したらいいかもしれません。なんでも2月14日は「ピンク・ギャングの日」(p. 139)だそうですが、皆さんも今年はヴァレンタインデーではなくピンク・ギャングの日を祝われてはいかがでしょうか。
ピンク推しの真相は謎
今回の記事では英語圏では話題になった一方、日本では情報が少ないかもしれないと思われる本3冊をとりあげましたが、他にもフェミニズム関係の有名な本で日本語訳がないものはたくさんあります。本当は『バッド・フェミニスト』でも引用されていて、英国で大ヒットしたキャトリン・モランの『女になる方法』(Caitlin Moran, How to Be a Woman, Ebury Press、2011)も取り上げたかったのですが、こちらについては既に私が『いま、世界で読まれている105冊』(テン・ブックス、2013)で詳しい紹介を書いているので割愛しました。私の個人ブログで書評したことのある本や、既に前著が翻訳されているレベッカ・ソルニットのように比較的日本での知名度があると思われる作家の本、未邦訳のフェミニズムの古典などもとりあげていません。英語圏だけでも面白いフェミニズムの本はたくさんありますので、どんどん翻訳されてほしいものです。
この記事を書いてひとつ気になったのが、表紙にピンクを使っている本がやたら多かったということです。『ピンク・サリー革命』や、『バッド・フェミニスト』のように著者がピンクの話をしている本の表紙がピンクっぽいのはわかりますが、言語を問わず、フェミニズム本の表紙がピンク推しなのにはちょっと驚きました。いわゆる「ダサピンク現象」ではなく、ふざけた色とか不まじめな色とみなされがちなピンクを逆手に取ってステレオタイプを打ち破るというコンセプトの現れなのかな……とも思いますが、真相は謎です。