2月11日に中日新聞に掲載された「この国のかたち 3人の論者に聞く」という記事における、フェミニストで社会学者の上野千鶴子氏の発言が話題となっています。上野氏の主張を要約すると「少子化で労働人口は足りないけれど、自然増は見込めない。その上、日本人に多文化共生は無理なので移民受け入れもできないから、社会保障制度を充実させて、平等に緩やかに貧しくなるべきだ」というものです。
この発言については、「バブルを謳歌してきた世代が何を言っているのか」「移民は犯罪を起こすというのか」「多文化共生に耐えられないはただの追認でしかない」など様々な批判が見られました。また社会学者の韓東賢さんの「逆張りと敗北主義は強者の娯楽なのか」という記事は、発言の問題点を鋭く指摘しています。すでに多くの方が批判を展開しているので、今回は「『日本人に多文化共生は無理』かどうかよりも、『そもそも日本に来てくれる移民がいるのか』という点を心配したほうがいいのではないか」について、アメリカの事例を参考に考えてみたいと思います。
「移民」というのは、越えるべき国境が緩ければ緩いほど、また単純労働であるほど、多くの場合「出稼ぎ」にすぎません。最初から「あの国で生活するために移民するぞ」と考えているのではなく、「ある程度稼いだら数年で自国に戻ろう」と考えていることがほとんどです。ところが、国境警備や不法移民の取り締まりなど「越えるべき国境」が厳しくなればなるほど、「戻ったら二度と入ってこられない=家族に仕送りができなくなる」と考え、長期滞在にならざるを得なくなります。そして長期滞在中に新たな家族ができるなどして結果的に「移民」になるのです。つまり、越えるべき国境が緩ければ、移民ではなく出稼ぎで済むのです。たとえば、アメリカの多くの不法移民も、結果としてオーバーステイになっていることが多く、そもそも無登録(undocumented)移民という言い方の方が正しいという意見もあるほどです。
問題は、出稼ぎであれ本格的な移民であれ、「来てくれる人がいるのか」という点です。
移民受け入れ国と輩出国の関係は多くの場合、中世から近代までの帝国主義時代の旧植民地出身者が旧宗主国へと出稼ぎや移民に行きます。言語や文化など、旧宗主国の影響を受けた地域の人々は、全く関係のない国よりも、感覚的に近い旧宗主国に行くこと、また、旧宗主国が旧植民地出身者に有利に移民できるような制度を持っているケースなども理由として考えられます。
しかし、移民といっても「入植者」「開拓者」なのか、「被植民地」出身者なのかという点で大きな違いがあります。
たとえば、アメリカは移民の国として知られていますが、その最初期はイギリスから宗教的自由を求めて渡ってきた清教徒たちや、経済的成功を夢見てわたってきた北西ヨーロッパからの入植者たちが主流でした。一方、アフリカから強制連行されてきた奴隷たちや、ネイティブアメリカンたち、そして中国人労働者である苦力たちは「被植民地」出身者であり、ヨーロッパと非ヨーロッパの植民地の関係性をそのまま反映するように、差別的待遇にさらされていました。また、当時のアメリカでは白人と有色人種の混血婚を禁じていたため、白人は白人としてそのまま地位を温存し続けました。
一方、スペインが入植した中南米では、スペイン人と原住民や黒人奴隷との混血が進んでいき、「誰も純潔の白人ではない」社会ができあがっていきました。
現在、アメリカのニューカマーのなかで最も多いのは、メキシコを含むラテンアメリカ諸国からの移民です。しかし、そもそもアメリカにメキシコ人がこれだけ多いのは、メキシコとアメリカが戦争をした結果として、メキシコ人が大量に住んでいたテキサス地域がアメリカに割譲されたことが契機です。テキサス地域に住んでいたメキシコ人はアメリカから市民権を付与されました。当時のアメリカでは有色人種は市民権を取得することができませんでしたが、メキシコとの関係上、そこに住んでいた人々に市民権を付与しないわけにいかなかったのです。しかし、混血が進んでいたメキシコ人は、アメリカの白人にとって「アメリカ人扱いしたくない」有色人種そのものでした。そのため、実質的には有色人種、外国人、移民として差別され続けたのです。そして、その時代に築かれた人種主義にもとづく偏見が、現在まで続くラテンアメリカ系移民に対する差別や偏見の根源となっています。
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