批判炎上を「ネットのせい」にする広告の終焉。双方向性を重視し、ユーザーの想像の一歩上をいく発想を提供するスペシャリストが生き残る。

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誇り高き仕事を

 以上、映像が好きで映像ライターとなった当方ならではの苦言を呈して来たが、映像制作者は個々に多様なユーザーにおもねる広告を作るべきだ、というつもりはない。矛盾するようだが、多様な意見は、あくまでも個々に異なる私見であって、文句も誹謗中傷も言葉遊びのためのネタ叩きも混在するインターネット上の“言いたい放題”にいちいち付き合うことは、物理的にも論旨の組み立て的にも不可能であると考える。

 しかし、制作過程において、「“閉じた業界質”の偏見に基づいた内容でないか」「“開かれた視野”を慮れば、差別的でないか」「特定の属性を貶めるものでないか」「時代に即しているか」等、より広い視野での内容の精査は必要不可欠である。検討が十分になされれば、少なくとも大量に非難を浴びる広告が公共の場に現出することにはならないだろう。そうした検討が「配慮」であり、ユーザーにおもねる「媚び」や「迎合」とは意味が異なる。

 そもそも万事何事にも、他者による賛否両論はついて回る。よって、如何なる意見や言い掛かりに見舞われようとも、そう簡単には覆らない内容を熟考し、議論と精査を重ね、クライアント共々「これぞ」と言える成果物を、誇りをもって提供していただきたい。公共の場に現れる成果物だからこそ、批判を受けても揺るがないステイトメントを、正々堂々、主張してほしいと思うのだ。

 当方は、叩かれて覆る程度の成果を、簡単に世間に放る制作者ばかりではないことを知っている。不特定多数の人間への配慮を忘れず、しかし媚びず、ユーザーの想像の一歩上をいく発想を提供するスペシャリストは多勢いる。と書くと、いかにも特権的だが、能力と実績を礎に、多くの人々を喜ばせる力を社会や人々のために行使できる者は確かにいるのだ。その秀逸なコミュニケーションシップを活かす成果物をどんどん世に放ち、一部の広告映像の悪評を払拭していただきたい。

 また、業態の不透明性については、情報を積極的に公開し、人々にオープンに接する方法論の模索に期待したい。内々の事情を気にする必要はもちろんあるが、気にしたうえで、出来うる範囲の透明化を目指されたい。様々な意見が噴出する前に、先攻して、制作者名や顔写真を明記する農産物のごとく、「この広告は、僕らが作りました。こんなテーマです」と主張してみるのも悪くない。顔を見せれば良いというわけではない。人間が作り、人間が見るという当たり前の相互関係を、現代の人間同士の距離感を、今一度再考していただきたい。

 当方は、映像文化が大好きだからこそ遠慮なく文句を言う。結果、このところ、映像にまつわる執筆依頼がとんと来なくなるという寂しい事態に見舞われているのだが、さて、どうしたものか。当方は、背負うものが何もない身軽さにより、捨て身上等スタイルを維持できるが、背負うものが大きいからこそ公の場で批判に反論したり、内状を言及したくともできない制作者のジレンマも熟知している。だからこそ自ら言いたいことを言う身軽さを有効活用し、映像を愛するあまりに映像に嫌われる映像ライターとして、今後も活動を継続していく所存である。

(林永子)

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