戦後教育の歩みを無視
さて、自民党が家庭教育支援法の先に睨んでいるのが憲法改正です。
家庭や個人の尊厳と直接かかわるものは、憲法二十四条です。現行の憲法二十四条が規定しているのは、婚姻、夫婦の平等であって、家族とはどうあるべきかを規定するものではありません。しかし、これまでmessyでも様々言及されてきたように、自民党草案では、現行の憲法二十四条には無い「前文」が追加されています。
第二十四条
家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。
家族は、互いに助け合わなければならない。
これは一見すると「当たり前のこと」だと考える方もいるかもしれません。しかし「個人」ではなく「家族」を国家の基本単位とすることを強調するような、まるで戦前・戦時中の家制度への回帰とも取れるような内容となっています。個人よりも家族が優先される。家族のためであれば個人は犠牲になってもいい。そういう社会を理想としているのです。
憲法というものは国家権力を規定・制限するためのものであり、国民一人一人の自由や尊厳を規定・制限するためのものではありません。家族の形態が多様化している中で、人によって家族を優先するか個人を優先するか、それぞれ異なる考え方があります。それにもかかわらず、本来国家権力を制限するための憲法で、個人に対して「家族は助け合うべきだ」と押し付けようとしていることがそもそもおかしいのです。
戦後の教育基本法は、戦前の教育勅語に込められていた儒教的要素を徹底排除することから始まりました。それは、教育勅語の中にある日本型儒教思想が尊王攘夷思想の発露そのものだったからです。つまり絶対権力である天皇を父とする日本国の家族的形態の強化と、富国強兵を目途にして、儒教的世界観で精神論を謳いあげた教育勅語は、国家主義と外国排斥の思想に他ならなかったのです。
安倍首相は先日、園児に教育勅語や軍歌を歌わせることで話題になっている塚本幼稚園を運営する森友学園の園長について「思想を共有する方」と国会で答弁しました。安倍首相と自民党は、教育勅語の歴史的な意味、そしてそれに対する反省から始まった戦後教育の歩みを無視して、家庭教育や学校教育の在り方を根本的に変えようとしているようです。しかし、公権力が家族や家庭教育の領域に安易に踏み込むことを許してしまうと、個人や各々の家庭・家族の自由が奪われることになりかねません。これは私たちの生活に直結する問題です。今後の展開に十分に目を光らせなければなりません。
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