大名遊びと反省と
1日24時間をフル活用して健康リセットを行なった結果、1週間で体重は2キロ落ちた。肌ツヤも良くなり、冷えもさほど気にならない。何より驚いたのは、熱がずっと36℃台の平熱なのだ。どうやら、数カ月も悩まされていた発熱地獄より、見事、脱したようだ。が、ご覧の通り、一気にいろいろやり過ぎて、具体的に何がどこにどう効いたのか、さっぱり分からない。未だ不調の原因も特定できていない。何も把握できない白昼夢さながらの日々にて、「全然仕事をしていない」という己の浮世離れぶりにも、いよいよ罪悪感を覚える。
当方が約2週間かけて行ってきた一連の活動は、仕事そっちのけで健康にかまける大名遊びである。これを可能とするのは、ある程度の財力や自由に使える時間がある者に限られるが、当方は万年金欠の低所得者であり、貯金もない。よって、優雅にハーブティーなどを飲んでいる場合ではなく、働いて日銭を稼ぐことに時間を使わなければならない、と考えて、改めて、己の価値観が「貧乏暇なし」の刷り込みに洗脳されていることに気づく。
そもそも元気に働けない状況にぶち切れて大名遊びに興じたわけだが、働かずしてジムに通い、昼間からサングリアなどを拵えている己には罪の意識を感じる。独身で子供のいないフリーランスの立場は、思い立った時、誰にも気兼ねなく、自由に行動できる利点がある。そのフレキシブルな自由をこよなく愛しているにも関わらず、時に、誰のためにも生きない自分を懐疑する。家族や会社のために、喜んで自分の時間を費やす人々がいる。苦悩や重圧を伴う「犠牲」を強いられる人々もいる。自分は犠牲者にはなりたくないので拒絶する一方、背負うものがある分だけ苦労している方々を前に、自分の身軽さを内罰する自責の念を覚える。人間活動をサボっているような気がして、社会に向けて「申し訳ない」と謝りたくもなる。
しかし、元気に働けない者が休み、体調改善を行うことは、悪ではない。悪どころか、健康の獲得は人間として正しい活動である。低所得者だってハーブティーは飲むだろうし、やりくり上手はジムやエステやネイルサロンにも行く。つまり、富裕層と低所得者層の生活イメージを根拠に、低所得者である私自身がそのイメージに反する活動を行う自分に違和感を覚え、勝手に反省するという取り越し苦労を行なっているに過ぎない。そのイメージ自体、人様に失礼だ。人間はそれぞれの幸福論を追求して生きる。自他のストーリーを混同するなと、再び猛省するに至る。
結局のところ、考えすぎと反省を繰り返す思考回路が最も「頭に悪い」。よって、一回リセット。大名遊びも仕事も無理せず楽しみ、疲れたら休もう。自分のペースでゆっくり生きていこう。なにしろ人生は死ぬまでの暇つぶし。楽しまなければ損をする。それが私らしいやり方だ。この再認識を誕生日プレゼントとして自分に贈ることにする。
と、結論づけたところで、身軽なうえに頭まで軽くなったのをいいことに、気の合う仲間たちの集うバーに顔を出し、泥酔。焼酎のお湯割をしこたま飲むうちに、どうしても我慢ができなくなり、もらい煙草であえなく禁煙にも失敗した。明日からまた出直すとして。誕生日当日は、大名遊びの打ち上げと称し、久しぶりに「北極」10倍辛を食べて成果を台無しにするという破壊衝動に身を任せたくなっている自分がいる。いや、もうちょっとだけがんばろうよ。いやいや、時々はハメを外そうよ。煩悩の旅は続く。