悩むな、なんて無理な話。育児で悩む母親を「贅沢者」呼ばわりしないでほしい

【この記事のキーワード】
(C)messy

(C)messy

ネットなどで妊娠や育児にまつわる悩みを投稿する際に、“こんなに頑張ってます”と前置きをしないと、たちまちネット上の「先輩ママ」からフルボッコにされる風潮があることは以前にも記した。

先輩ママのネガティブな次回予告「産まれてからの方がもっと大変だよ」は何を意味しているのか

しかし、質問者の「辛い」という吐露に対して「そんなのまだ良い方です」とか「そんなの母親失格」などの否定的な回答をするのは、先輩ママだけではない。不妊の女性たち、またはそういう女性たちを庇う人の回答もとても多く目にするのである。

妊娠や出産というのは肉体的にも身体的にも実に繊細な事象であり、男女の肉体的な事情や社会的ストレスなど要因は様々。今は生殖医療の発達により不妊の診断や治療が可能になったが、昔から不妊要素を持つ男性。女性は一定数いただろう。

贅沢な悩み?

私の身近にも、不妊で悩んだ経験を持つ人たちがいる。

子を持ちたいがなかなか授かれず、やっと授かったと思ったら流産してしまい、数日は泣くことしかできず食事も喉を通らなかったという友人。

10年も不妊治療に通ったが授かることができず、その過程の中で夫婦仲が悪くなり離婚危機にまで陥った親戚の女性。

自分が授かりたいのに授かれないから辛い、という単純な話ではない。「女性は子を産んで一人前」みたいな風習がある家では、親や親族たちのプレッシャーに潰されそうになったりもする。もちろん社会的な圧力も感じるだろう。

私自身が彼女たちのような思いをしたことがないのだから、もちろんその内面は想像するしか出来ない。当事者だって一様ではなく、軽々に「こうだからこう」と決めつけられることではない。

ただ私は、育児について悩みを投稿した人を「贅沢な悩みだ」と切り捨てる、一部の当事者、そして当事者を庇うように立ち振る舞う人たちには強い違和感を覚えている。

妊娠や育児に関わるトラブルで本気で悩んでいる母親に対して、わざわざ「授かりたくても授かれない人もいる。あなたは贅沢だ」「子を授かりたくても授かれない人に比べたら、幸せなものだ」と言い捨てに来るのはどうなのだろう。

相談者や、似たような悩みを持つ育児中の親が、その言葉を読んで「ああ、私って幸せなんだな」と納得するものだろうか。

私は出産して退院した時、とにかく肉体の回復が遅く、不眠不休状態が続くことにも疲弊していたが、その頃一番きついと感じていたのは、我が子を(産前に想像していたよりも)可愛いと思えないことだった。

自分が寝る時間すら確保できず世話してるというのに赤子というやつは要求ばかりで、行動はすべて動物的……まるで、わけのわからない宇宙人の世話をするために、自分の一生分の自由がすべて奪われたみたいだ……と八方塞がりの絶望を感じていた。

これから先、本当にこの子を愛せるのか。よく母親にとって子供は「自分の命に代えても守りたい大切な存在」だと聞くが、私も人並みにそうなれるのだろうか。

自分自身を信じることが出来なかった。

今考えれば軽い産後うつ状態で「その時期だけ」だったと冷静に振り返ることが出来るが、渦中では「今を乗り越えれば……!!」と割り切って考えられず、本当に不安だった。不安だから、同じような悩みを相談している母親は居ないものかとネット検索をよくしていた。

すると、前述のような「先輩ママ」の喝、および「不妊に比べれば贅沢な悩み」という類の回答に遭遇。はっきり言って、びっくりした。

1 2 3

「悩むな、なんて無理な話。育児で悩む母親を「贅沢者」呼ばわりしないでほしい」のページです。などの最新ニュースは現代を思案するWezzy(ウェジー)で。