マウント凝縮フルコース「先輩ママ」の友人宅訪問は地獄でしかなかった

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(C)messy

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息子が生後3カ月ごろ、初めて息子を連れて幼稚園・高校時代の友人Tの家へ遊びに行った。
Tには二人の子供がおり、当時長女が4歳・長男が5カ月。長男と私の息子は同学年でわずか2カ月違いだ。
家族ぐるみでの長い付き合いだったし、産後初めて子供同士を合わせるという、普通の友人同士ならやるであろうイベントなわけだが、その日、私はやけに気乗りがしなかった。
久々にTに会えることも、Tの赤ちゃんと息子を対面させられることも、それ自体は嬉しいことであるはずなのだが、心のどこかで、これは一方的な“マウント会”になるに違いないと、確信していたのだ。

一方的な価値観の押し付けがウザいT

Tは決して悪い人間ではない。良いところがいっぱいあるから付き合ってきたのだ。
ただ、Tが先に結婚してから、ちょっと違和感を覚え始めた。まだ独身だった私に「愛ちゃんはまだなのぉ~?」としきりに言うようになったのである。
Tは長女を出産後、子供が好きではなくそもそも自分が母親になるイメージなど全くできていない私に「産んじゃえば絶対可愛いよ。早くしないと産めなくなるよ」と勧めてきたりもした。

人それぞれ価値観は異なる、という前提条件をTとは共有できないと思った。
Tは特に結婚や出産において「自分が到達した」ことを現在していない相手に対して「未熟」扱いするような節があった。だから徐々に、私はTと距離を置くようになり、自分が妊娠したことも直接Tに報告しなかった。

しかし別の友人を通じて私の妊娠を知ったTは、急にたくさん連絡をよこしてくるようになった。そして「つわりがその程度ならまだマシ」とか、「家で靴下履かないなんてありえない!」とか、いきなり「先生」になったかのような調子で物申してくるのである。

妊娠後期や入院間際まで「運動が足りてない。難産になるよ」とか「そんなのはおしるしじゃない、もっとこうなハズ」とか、いちいち自分の経験が“正しい産婦”の経験そのものだとでも言いたげに主張するTに、私はすっかり疲れていた。でも、子供が産まれたらきっとTに一度は会うことになるんだろう。なにしろ幼稚園時代から、実家の家族ぐるみの友達なのだ。そう思って、近い将来が憂鬱だった。

私は産後、退院してからろくに寝られない生活が続き、生後間もない命を預かっているという不安との戦いや、母乳がスムーズにいかないことのストレスや、貧血がひどく、食事も喉を通らないし、本当に余裕のない毎日だった。
その時期にTと私の母が連絡を取り合い、彼女が我が家に遊びに来るという話になったようなのだが、こんな状況で、ああだこうだと「レクチャー」されるのはさすがに耐えがたい。その時はやんわりと断り、そのうち落ち着いたら……ということになった。

息子は生後2カ月で寝返りを覚えたのだが、オムツ替えの際に身体をひねらせて寝返りを打とうとするので替えづらくて困った。それを近くで見ていた母は、Tに近況報告がてらLINEで気軽にそのことも話したりしていた。
その時のYからの返信は「あるよね~笑」ではなく「もーー! Aちゃんったら……そんなやり方じゃダメ!!もう、教えるから連れてきて!!!」というものだった。
家族ぐるみのざっくばらんな付き合いをしていた関係だから、この物言い自体に母は特に何も思わず、むしろ「先輩ママ」のTが、私を案じてくれていると喜ばしく思っていたようだ。

この段階で「ああ……きたきた……」と、私はTとの心の距離を早速取り始めてしまっていた。
まだ2カ月なのだから慣れないのは当然だったし、数をこなしていけばどうってことない、私にとっては「“今”の小さな課題」であり、別に悩んでいたわけではない。
だというのに、「もう! そんなんじゃダメ!! 喝!!」とばかりに早速首を突っ込んでこようとしたTだったから(自分だって最初からできたわけじゃなかろうに)、T宅に遊びに行くとなれば、いよいよ「慣れたお母さん」を最大限に演出できる日が来たとばかりに大御所審査員気分で待ち構えているに違いないと思った。なんとかして避けたかったが、そうもいかず、ついに対面の日と相成ったのだ。
上手くぶつからずマウントを回避できる術はないものか……私は緊張していた。

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