アメ車、男たちの絆、この惑星最後の美しき自由な魂~『バニシング・ポイント』

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『バニシング・ポイント』(20世紀 フォックス ホーム エンターテイメント)

『バニシング・ポイント』(20世紀 フォックス ホーム エンターテイメント)

チャレンジャーはサツの車に追われながら進んでいく。悪徳交通警察隊が、我らが孤独なドライバーの後をつけてくる。最後のアメリカンヒーロー、電気のケンタウルス、半神、黄金の西部を行くスーパードライバーだ。いやらしい2台のナチの車が美しい孤独なドライバーに迫る。ソウルモビールに乗った我らがソウルヒーローにサツどもがどんどん、どんどん、どんどん近づく。そうさ、ベイビー! ヤツらは打ちかかる。ヤツらはつかまえる。ヤツらはこの惑星最後の美しき自由な魂をとっ捕まえ、ブチ壊し、レイプするんだ。(『バニシング・ポイント』よりスーパー・ソウルの台詞)

 これは1971年のリチャード・サラフィアン監督による映画『バニシング・ポイント』(Vanishing Point)の中で、盲目のアフリカ系DJ、スーパー・ソウル(クリーヴォン・リトル)が主人公コワルスキー(バリー・ニューマン)を描写する台詞です。主人公は白の1970年型ダッジ・チャレンジャーに乗っていますが、これは強くてスタイリッシュなアメ車の代表的な存在です。「この惑星最後の美しき自由な魂」コワルスキーはこの車でひたすら警察から逃げています。警察は大量の人員を投入してしつこく追うのですが、コワルスキーがどんな重罪を犯したかというと……スピード違反や停止違反です。そんなことにやっきになる警察がスーパー・ソウルにバカにされるのも当たり前ですね。今回はこの映画を取り上げ、以前にバズ・ラーマン論『わたしを離さないで』分析で少し紹介したクィア批評を用いて分析します。

アメリカン・ニューシネマの傑作

 コワルスキーはコロラド州デンバーからサンフランシスコまでダッジ・チャレンジャーを運転して配送する仕事で、友人と翌日午後3時までに目的地に着けるか賭けをします。結果、スピード違反で警察に目を付けられますが、振り切ることに成功。面目丸つぶれの警察は州をまたいで連携し、執念深くコワルスキーを追います。警察無線の傍受で事件を知った人気DJスーパー・ソウルはラジオでコワルスキーの反抗心溢れる逃走を称賛します。リスナーの間で有名になったコワルスキーは、行く先々で人に助けてもらいつつカリフォルニアへ向かいます。警察はブルドーザーを道路に据えてブロックしようとしますが、コワルスキーは野次馬が見守る中、2台のブルドーザーの隙間に突っ込み、車は炎上します。

 『バニシング・ポイント』は、1960年代末から1970年代にかけての反体制的な若者文化をやや暗いタッチで描くアメリカン・ニューシネマと呼ばれる潮流の代表的作品です。カーアクションの古典である一方、非常に哲学的な作品でもあります。コワルスキーが警察という権威を拒み、死が訪れるとしても自分の進路を自由意志で決めようとするという結末は、人生における自由な選択とは何かという問いを追求するものです。

 この映画は後世に大きな影響を与えており、スコットランドのロックバンド、プライマル・スクリームはその名もずばり『バニシング・ポイント』(1997)というアルバムを作っていて、「コワルスキー」という曲も収録されています。クエンティン・タランティーノの『デス・プルーフ in グラインドハウス』(Death Proof, 2007)には『バニシング・ポイント』へのオマージュがありますし、リドリー・スコット監督『テルマ&ルイーズ』(Thelma and Louise, 1991)やジョージ・ミラー監督『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(Mad Max: Fury Road, 2015)にも影響を与えているでしょう。単純なプロットなのに全く飽きさせず、アメリカの風景をとらえた映像も綺麗で、今見ても古くなっていない映画だと思います。

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