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小谷野さんから枡野さんへの執拗な「取り調べ」にはじまり、その課程で、これまで散々自分を語り続けてきたはずの枡野さんの「自分史」にもまだ語られざる部分、認識されざる部分があることがわかり……。さらには小谷野さんから枡野さんへの、ある意味衝撃的な「ストーカー認定」、「元奥さんの視点から自分を書け」という「宿題」……。予想外の展開を続けてきた対談もいよいよ最終回です。
だがしかし、ここまで来てなお、さらに枡野さんはまた新たな本音を吐露し、小谷野さんはまた「枡野さんはバキューモンですね」と新たな枡野さん定義を繰り出します。枡野さん自身がしみじみと「こんなこと言われるとは想像もしていなかった……」と思わず発言したこの異色対談をどうぞ最後までお楽しみください。
「短歌はねえ、僕、正直者なんで言っちゃいますけど…」(枡野)
枡野 小谷野さんのお書きになった『悲望』[注]っていう小説ですが、(その小説の)当事者である人とかに対しては、書くときはどういう気持ちで書かれてました? 読んでほしいとか思って書いてました?
小谷野 う~ん、それはわかんないですよ。読むとまずいなぁとか……。あれはねえ、そもそも本にするときに、文藝春秋で法務部が見送ったくらいですから。
枡野 あ、そうなんですか。それで幻冬舎から出たんですか。
小谷野 そうそうそうそう。あのときはちょっと嘆きましたけどね。あれはね、なんかみんな書かれた方の気持ちを考えろみたいなことが言いたいと思うんですけどね。ただ私としては、隠されてるということが嫌で。あなたはこういうことしましたよねとか。
枡野 はい。
小谷野 それで、私がさっき言った「売れてないから」というのは、ああいうことじゃなくてね。暇があるからってことなんです。
枡野 忙しいと、そういうこと考えなくなるんじゃないかと。でも忙しいときも考えてましたからねえ。
小谷野 けど、検索とかって暇だからしちゃうでしょ?
枡野 あ、だから僕、この本(『愛のことは〜』)書いた後はアパートと仕事場が別になって、仕事場にしかネット環境がないので、前ほどは検索しなくなりましたね。
小谷野 ああ、そうですか。
枡野 健康にはいいですね。あとババロアはよく検索してます。ババロアについての検索は熱心にしてますけど、息子についての検索はもう……。将棋で昇級したとかも知らなくて、友達が教えてくれたりするレベルですね。
小谷野 ほお。
枡野 だから安心しましたよ。息子が将棋やってくれたおかげで、検索したら写真が出てきて、顔も知ったから、かなり安心して。それまでは3歳の時のまま止まってたわけだから、予防接種してないままで止まってたわけですよ。予防接種どうなったんだろうって十何年近く思いながら生きてて、息子が将棋やってるのをネットで知ったから、「あ、元気でやってるんだ」って、かなり……もうかなりホッとしました。
小谷野 よかったじゃないですか。
枡野 よかったんですよ。だからありがたいし、そこで元奥さんに感謝してるのは、自分だったら将棋とかをさせる環境にしなかったかもしれないから。本当に(元奥さんが息子と)将棋一緒につきあってやってたとかは偉いと思ってますけどね。
小谷野 なんで枡野さんが育ててたら、将棋させない環境にするんですか?
枡野 僕ね、父親が威圧的な人だったんですけど、僕もちょっと短歌とか教えるときに厳しすぎて、みんなが引いていくんですね。たぶん父親に似てるので、将棋なんか潰しきかないからやめろって言いがちなタイプなんですよ、きっと。将棋やってプロになりたいとか言ったら、やめろやめろって言うと思うんです。それを言わなかったのは距離があったからで。結果的には彼は頑張って将棋のプロを目指しているので、自分を納得させる理由としては、自分と暮らさなかったことが功を奏してるのかなぁ、だったらいいなぁと思ってますよ。そして彼の人生だから、邪魔したくないので、僕が将棋会館に行ったら、動揺して負けちゃうんじゃないかと思うから、会わないようにしてます。
小谷野 はい……。では枡野さん自身の短歌はどうなってますか?
枡野 短歌はねえ、僕、正直者なんで言っちゃいますけど、もう僕、一時代を築いちゃったので、これ以上成長しないんですよ、短歌。できることはまだありますけど、もう今ある能力の中でやっていくしかなくて、新しい歌人……枡野を踏まえた新しい優秀な歌人がいっぱい出てきている以上、あんまりほんとは僕の需要はないんですよ。だから穂村弘さん[注]とかはエッセイとかで売れて羨ましいと思うけども、穂村さんだってかつてやっていたような同等の(革命的な)ことを今、絶えず短歌でやっているとは思えないし。あの、どんな歌人もなんですけど、若いときの仕事が一番いいんですね。だからそういう意味では、芸人活動する前に死のうと思ったのは、もうこれ以上伸びしろがないと思ってしまったからなんです。
小谷野 死のうと思ったんですか?
枡野 はい。竹馬で。
小谷野 う~~ん……。
枡野 詳細は前の対談でしゃべっちゃったので省きますけど、本当に死のうと思ってたから僕、自分の蔵書も捨てちゃったし、一番あれなのは、出版契約書も全部捨てちゃったんですよ。僕いま、出版契約書ほぼ持ってなくて、最新作のは持ってますけど、それ以外のはもう死ぬつもりだったんで処分しちゃったんですよね。バカなことしたと思ってますけど、かなり本気で死のうと思ってたんで。
小谷野 なんで漫才を始めたんですか?
枡野 それは短歌が行き詰ってたので、もう僕のやることは活字界では成り立たないと思って、漫才とかコントに短歌を混ぜることで、短歌ってちょっと面白いねっていう布教活動をすることくらいしか、僕のできることはないと思ったんです。
小谷野 ふむ。
枡野 僕、人前でしゃべることは平気だし。あの、べつにおしゃべりが上手なわけじゃないんですけど、人前で平気ってことは能力だと思ったんですよ。緊張もしないし。あと「踊る!ヒット賞」も貰ったし。僕、小説で賞とか獲ったことないし、短歌でも1個も賞獲ってないんですけど、「踊る!ヒット賞」だけは貰ってるんで。「踊る!ヒット賞」っていうのはテレビのバラエティ番組(『踊る!さんま御殿!!』)で貰った賞で……。だから面白い人と組むことで僕の変さを笑ってもらえたら、癒されるかなぁってスタンスでした。
小谷野 でもなんで漫才になったんですか?
枡野 それは、最初は(コンビで)コントやってたんですけど。演劇が好きだったので。それを観た先輩芸人が「君たち面白い」って言ってくれて、その先輩に3人で組むことを僕がお願いして。その先輩が正統派漫才が好きな人だったので、その方(植田マコトさん)の主導で漫才を主にやっていたんですけど。観るのはコントのほうが好きかもですね。
小谷野 演劇は……いつからやってたんですか?
枡野 演劇が好きになったのは松尾スズキさんの(劇団「大人計画」)を観てからだから、1997年とかそれくらいから。あとケラさん(ケラリーノ・サンドロビッチ「ナイロン100℃」)のとかも。自分が出るようになったのは「五反田団」という劇団のオーディションを受けたのが初めてですね。
小谷野 はい。
枡野 それで自分が(演劇に)出てみると、ストーカー役とかで……コメディリリーフっていうじゃないですか、それだったから。僕自身は決して面白いにんげんではないが、ある役柄を演じさせられて、人からツッコまれれば、爆笑をとるなって。それでやろうと思ったんです。
小谷野 あぁ、人にツッコまれる……。
枡野 冷静な人がいてくれて、「枡野さん、そこ変だよ!」って言ってくれるだけで笑いがとれるから。それで笑ってもらってるときの自分は、健やかで嬉しかったんですよね。ああそっか、自分は変だったんだぁ、みんな笑ってるな……というのを幸福と感じちゃったんですね。
小谷野 あ、はははぁ……(笑)。
枡野 ただ、それ(芸人活動)に挫折しちゃったことも大きかったです。この本、書いたことは。
小谷野 枡野さんは……専修大学の経済学部ですよね?
枡野 (経済ではなく)経営学部。小論文で入ったんです。勉強できなくて、小論文と英語だけで入れたんです、当時。
小谷野 生田校舎?
枡野 生田。枡形山。
小谷野 バスで行ってました?
枡野 歩いて行ってましたよ。
小谷野 えっ? どうして歩いて?
枡野 あそこ、歩けるんですよ。
小谷野 歩けますけど、あそこ、急坂でしょ?
枡野 そう、向ヶ丘遊園駅というところから、坂を上っていくんですよ。そしたら一番下のところに「サークルボックス」っていうサークルの溜まり場があって、もうそこにばっか行って、それ以上高く登らずに、上の坂を上らずに学生生活を終えちゃったから……。授業、ほとんど出なかったんです。
小谷野 その話は書きました?
枡野 書いてないかもしれません。
小谷野 それも小説になりますよ。私なんか、自分の人生の小説にできるところは全部書いちゃって、残ってないんですよ。
枡野 僕、そういえば、学生時代のことはほとんど書いてない……。
「小説はうまく書こうと思うとよくない」(小谷野)
構成担当F 小谷野さんにすごくお聞きしたいんですが、そうやって自分のことをひとつひとつ書いていくことで、たとえ小説になったりお金にならなくても、自分が何に執着しているのかとか、自分がどう救われたいのかがわかってくるかもしれないから、書くべきだということなんでしょうか? 自分は何が苦しいのかがわからないという人は多いと思うので……。
小谷野 そうでもないです。
構成担当F あ、そうでもないんですか……。でも小谷野さんは枡野さんに対して大変細かく、それこそ根掘り葉掘り聞きだして、それを書けばいいと言われて。それは、小説や私小説を書きたい人は書けばいい、その上で、書くのなら細かいところも逃さずに書くべきだということなのでしょうか?
小谷野 まぁそうですね。(『猫猫塾』の)塾生の場合はまだ自覚できてないところもありますので、それは書いてみるべきで。私は中学2~3年のときにものすごく幸せだと思っていたんですが、その頃のことを書いてみると、書くことがあまりないんですよ。
枡野 ほぉ~。幸せだったときは書くことはないんですか?
小谷野 そうそう。
枡野 でもそうですよ。僕、学生時代のことを書いてないのも、もう終わっちゃったことだからなんですよね。あ、でも最近、大学時代に好きだった女の子の今の夫だって人に偶然会って……。(枡野注/正しくは「大学時代」ではなく「大学中退後、文学サークルに顔を出していたころ」)
小谷野 ええっ!? 大学生のときに好きになった女の子がいたんですか!?
枡野 いたんです。
小谷野 さっき話に出てこなかったじゃないですか!
枡野 だから! 性的なもんじゃないんですよ、僕は! 憧れみたいなもんなんですよ。
小谷野 でも、もう、それでもいいですよ、好きは好きで。