思えば幼い頃から「女の子としての人生」のすべてが無理だった。
女の子の服も、女の子の振る舞い方も、遊びも、人間関係も、あらゆることが自分には合わなかった。成長につれ違和感はどんどん大きくなり、高校に進学してようやく、自分がトランスジェンダーなのだと知った。トランスジェンダーとは、生物学的な性と、性自認(ジェンダー・アイデンティティ)が一致していない人のことで、医学的には性同一性障害の診断基準にも自分は該当しそうだった。
そうか、すべては“間違った性別”に生まれて来たせいだったんだ!
だったら、男として生きれば、すべて解決するはずだ!
そう思いながら、夜な夜なインターネットで検索を続け、性別を変える方法について調べまくった。性同一性障害の診断がほしくて病院にも行った。一刻も早く、“女地獄“から抜け出したい。そう願う高校生だった私は、毎朝、苦痛でちぎれそうになりながらセーラー服を着て女子校に通っていた。学校につくと、四方八方を女子生徒に囲まれる。理想と現実のギャップたるや日本海溝のように深かった。この深海8000メートル級の溝を埋めるために、高校卒業するや私はあたためていた「マル秘計画」を決行した。男としての人生をスタートし、周りから男扱いされること。そう、これしかない。
というわけで18歳の私は、新宿の楽器屋に貼ってあった「バンドメンバー募集」のチラシをもらい、書いてあった連絡先にメールした。
「エレキギター歴6年です。バンドメンバーに興味あります!(で、男です)。」
待ち合わせ場所で私は初めて「自分を同性として扱ってくれる男友達」をゲットした。やった、作戦成功だ!!興奮したし、ホッとした。
しかし、意外なことに、だんたん「戸惑い」が出てきた。これまで女だと思われているときには「やめなさい」とか「おかしい」と言われていた全てのことが、「男扱い」されるとオセロゲームの角を取ったみたいに全部OKになってしまう。それが疑問に思えてきた。
バンドマン氏はアイスコーヒーをすすりながら「遠藤くーん、彼女いるの?」と尋ねてくる。それまで私は、“レズ”と揶揄されることはあっても、異性愛男性として扱われることはなかった。抜け駆けをした気がして嫌だった。男扱いされているときには、これまでの自分の人生でさんざん問題となっていた歩き方、座り方、しゃべり方の全てが、普通になった。もしも、おれが男を好きなFTMゲイだったら、この人どうするのかな。もしも、自分が女体だと知ったら、この人どうするのかな。目の前でニコニコ笑っている友達をみて、なんとなく不安になった。
行く先々で、扱いが変わった。定食屋で盛られるごはんの量もちがう。ボランティア先で「自炊してるんです」というと黄色い声が飛んだ。男の子なのにえらいね! ――これでいいのか、と思いはじめた。なぜ、ここまで扱われ方が変わるんだろう。
性別について大変だったことを、自分が“間違った性別”に生まれてきたせいにするのは、それこそ間違っていたんじゃないだろうか。そもそも、おれが男だろうが女だろうが、座り方やかばんの持ち方に指図をされる筋合いはなかったんじゃないか。男扱いされれば解決されるなんて、アンフェアじゃないだろうか。トランスジェンダーゆえと思っていた人生の困難さは、いくらかはフェミニズム、つまりジェンダー差別の課題ではないか。そう思うようになった。
どちらの性別で扱われたいかと聞かれたら「男扱いで」とこたえるが、できれば性別によって扱いが変わらない人が増えてほしい。いざとなったら「男だから」という切り札を使えるかもしれないけれど、できれば、そういうのは使いたくない。