陶酔させ、誰も不快にしない「正しさ」の洗練――映画『お嬢さん』 西森路代×ハン・トンヒョン

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 2015年6月に公開され、賞賛の声を浴びた『マッドマックス 怒りのデスロード』。messy(その後、該当記事はwezzyに移動しました)では、社会学者のハン・トンヒョンさんとライターの西森路代さんに、『マッドマックス』の素晴らしさ、特にフェミニズムの視点で、二度に分けてお話いただきました。

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そして2017年3月に、パク・チャヌク監督の新作『お嬢さん』が公開されました。すでに西森さんが本サイトでレビューしているように、『お嬢さん』は『マッドマックス』同様にフェミニズムの視点で饒舌に語るに値する素晴らしい作品です。そこで再び、ハンさんと西森さんにお集まりいただき、『お嬢さん』の魅力について語り合っていただきました。実は『お嬢さん』は、フェミニズムの視点だけでなく、植民地支配への批判、エロなど、見る人によってその魅力が異なる、多層的で巧妙な作品だったのです……。

※本記事はネタバレを含みます。

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西森路代
1972年、愛媛県生まれのライター。大学卒業後は地元テレビ局に勤め、30 歳で上京。東京では派遣社員や編集プロダクション勤務、ラジオディレクターなどを経てフリーランスに。香港、台湾、韓国、日本のエンターテインメントについて執筆している。数々のドラマ評などを執筆していた実績から、2016 年から4 年間、ギャラクシー賞の委員を務めた。著書に『K-POP がアジアを制覇する』(原書房)、共著に『女子会2.0』(NHK 出版)など。Twitter:@mijiyooon

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ハン・トンヒョン
1968年、東京生まれ。日本映画大学准教授(社会学)。専門はネイションとエスニシティ、マイノリティ・マジョリティの関係やアイデンティティ、差別の問題など。主なフィールドは在日コリアンを中心とした日本の多文化状況。著書に『チマ・チョゴリ制服の民族誌(エスノグラフィ)』(双風舎,2006)、『ジェンダーとセクシュアリティで見る東アジア』(共著,勁草書房,2017)、『平成史【完全版】』(共著,河出書房新社,2019)など。Twitter:@h_hyonee

巧妙に設定された複数の“偽装”

ハン 西森さんはmessy(編集部注:その後wezzyに移動しました。以下同)の連載で、『お嬢さん』を「フェミニズムそのもの」と書かれていました。感想として異論はありませんし、ある意味まさにそのとおりだと思います。だから今回よびかけられたこの対談は、2015年にmessyで行った『マッドマックス』対談での延長線上のものなのだろうと私は受け止めています。そうした流れもあってか、この映画を観ているとき、西森さんのことを思い出していたんですよね。詐欺師の藤原伯爵(ハ・ジョンウ)が「チンコを守れてよかった」って台詞を吐くシーンとか、「ああ、これは西森さん、絶対好きだな」って思って。

西森 それじゃあ私が、そこだけに喜んでるみたいな……(笑)。あのシーンは、女性たちに復讐されているのにもかかわらず、当の男性は何が起きているかわかっていない。その上、情けないセリフを吐いている、というシーンですよね。それをハ・ジョンウに言わせるのかと思うと、つい笑ってしまいました。ハンさんは『お嬢さん』をどう見られました?

ハン この映画って、結構複雑な作品だと思うんですよ。まず西森さんが書いていたように、何よりもまずジェンダー支配を乗り越えるフェミニズム的な要素がありますよね。それ以外にも、植民地時代の日本と朝鮮という民族的な支配‐被支配の関係、そして階層という、3つの要素がクロスしている映画なんだと思います。

西森 どういうことですか?

ハン この映画では男性がとても情けなく描かれています。でもそれは、単に「男はダメ」で済ませられる話じゃないんですよ。それ以上に「“親日派の”男はダメ」っていう話なんです。そして登場人物にそれぞれ違った“偽装”がある。

まず完全に日本人になりきって生きている上月(チョ・ジヌン)と、朝鮮人なんだけど詐欺師として今は日本人になりすましている藤原伯爵がいる。上月は植民地支配を内面化しているという意味での民族的な偽装、藤原伯爵はお金のために民族と身分を偽っているということで、それぞれ偽装のレベルが違います。さらにこの背景として、同じ朝鮮人でも、上月は上流階級に属していて、藤原伯爵は朝鮮半島の中でも差別される側にある済州島出身の貧しい男という違いもあります。

秀子には、メタなレベルの偽装があって、日本人の役だけど、演じているのは韓国人のキム・ミニなんですね。たぶんパク・チャヌクはあえてキム・ミニに秀子を演じさせている。これは、「男性に抑圧されて自分らしく生きられていない」という役柄上のことに、日本による朝鮮支配を重ねているんだと思うのですが、みんなひとつずつ偽装のレベルがずれているんですよ。そんななかで唯一、詐欺に加わっているとはいえ、何も偽らず、偽装せずにそのままの姿で生きているのがスッキ。だからスッキが救世主になりえたのではないかと思っています。

西森 私にはわからないところなんだけど、植民地時代には、上月や藤原伯爵みたいな、「偽りたい」という欲望をもつ男性がいたということですか?

ハン 国が奪われている状況で上に行くには日本人になりきらないといけないじゃないですか。そうでもしないと生き残れない。というか、自発的にそうさせるのが植民地という状況。植民地時代の親日派って、単に日本に協力しましたって話じゃなくて、あの状況下で生き抜くためにはとくに男だとそうせざるを得ない、そうなってしまうってことなんです。逆に言うと女性はそういう構造からも「排除」されていたということなのだけど。

西森 上月が春画の収拾をしてるのを変態って片付けることに違和感を覚えてたんだけど、あれは日本の文化に染まろうとしていたともとれるわけですね。

ハン そう、単なる趣味じゃなくて、身も心も日本人になりきろうとしていた。これは監督自身も話していますが、文化的な侵略のもとでの「内なる植民地支配」の表現です。

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