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陶酔させ、誰も不快にしない「正しさ」の洗練――映画『お嬢さん』 西森路代×ハン・トンヒョン

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女性と男性で、笑うシーンが違う

ハン 日本でまわりの感想を見ていると、とくに男性は「エロくてよかった」って言っている人が多いですよね。自分が「チンコ」側の人間だって気づかないのかな(笑)。

西森 私もフェミニズムの話だって一方向にしか見れてなかったので、今考えると男性も一方的にしか見られないものなんだなというのは納得なんですけど、見ているときは「みんなチンコだろう」って思いながら見ていました。

ハン 思わないんだよね。みんな「エロくてよかった」って言ってる。

西森 もしかしたら「チンコを守れてよかった」って素直に思ったとか。

ハン かもしれない。ホッとしてるのかな。あれは救いだもんね。指は切られたけど、チンコは守れた(笑)。

西森 あの辺りのハ・ジョンウとチョ・ジヌンのくだりって、緊張感が解けてのほほんとすらしてますよね。パク・チャヌクはそれをわざわざ台詞にしてるわけですよね。台詞にしないでも伝えられるのを、「お前ら台詞にしても気づかないだろう」ってストレートに馬鹿にしているのかもしれない。

ハン 茶化してるよね。そしてものすごい皮肉だとも思いますよ。しかもパク・チャヌク自身、男性ですからね、自罰的で自虐。

西森 あと、優しさでもありますよね。だから私は最後の「チンコを守れてよかった」って台詞は笑えたんだと思います。一方で、秀子が人形と絡み合うシーンを笑えたって男性がいたんですよね。私はあのシーンは笑えなかった。

ハン あのシーンは笑うところじゃないよね。すごくグロテスクなシーンだった。

西森 自分の罪に結びつかないで、笑っちゃうんだって思ってその感想を見て怖かったというか……。むしろしんどすぎて笑うしかなかったのかもしれない。別に、あのシーンを見て笑う人が嫌いってわけじゃないんだけど。

ハン 表裏なのかもしれない。男性はチンコのシーンが笑えないし、女性は人形のシーンが笑えない。ふたつのシーンが同じ作品にある、という。

西森 どこから見るかで笑うところまで違ってくるんですね。

『お嬢さん』は誰が見ても不快にならない、ポストPC映画

――韓国の女性はこの映画をどう見ていたんでしょうか。植民地支配への批判として? フェミニズムの文脈で?

ハン 韓国は、とくにミソジニー殺人事件以降、フェミニズムがブームになっているので、「フェミニズムに接近した映画だ」って評価されているようですね。あとやはり同性愛。

西森 今の韓国は、アイドルが女性蔑視的な発言をすると、日本では論争がおきないようなことでも論争が起きますからね。BIGBANGのG-DRAGONが、自分のブランドの洋服の洗濯表示のタグに「いいからママに渡しなさい」とジョークめかして書いた写真をインスタグラムにアップしたら、「ママが洗濯をすると決めつけるのはいかがなものか」という批判があったそうです。それくらい韓国ではフェミニズムな視点があるわけですけど、この映画はフェミニズムがブームになる前から製作が始まってますよね。

ハン そうですね。企画自体はもっと前からかと。パク・チャヌクが、サラ・ウォーターズの『荊の城』を植民地時代に置き換えて映画を作るって聞いたとき、監督のファンでありながらも若干の不安がよぎったのを覚えています。今は「疑ってすいません」という感じですが。

西森 ジェンダーに関してもそうですけど、ポリティカル・コレクトネス(PC)全般に対しての意識が高まっているのは感じましたよね。

ハン 先ほど不安がよぎったとは言ったものの、パク・チャヌクは昔から女性を主体的に描いてきた人ですよね。彼が世に出るきっかけになった『JSA』で捜査官を女性にしたのは、このようなタイプの作品では女性が受動的な存在として描かれがちなのであえて、と言っていましたし。『親切なクムジャさん』もそうだし、少し違いますが『サイボーグでも大丈夫』もある意味、弱者フレンドリーな映画ですよね。

西森 私とハンさんは、パク・チャヌク作品の中でも、あまり評価されていない『サイボーグでも大丈夫』が好きなんですよね。でも、どの作品を見てもそういう意味で気持ち悪かったことはなかったですね。

ハン そういう意味では皮肉としての意味ではなく、すごく正しくPCな人ですよね。日本ではわりと、グロと変態、エレガンス、暴力みたいに見られるけど。

西森 それは表面がそう見えるだけで。

ハン パク・チャヌクは韓国の学生運動世代の人で、韓国とは何か、韓国にとって近代とは何かを考えてきて、映画の政治的な可能性を強く信じている監督だと思います。とはいえあの世代の人たちは普通に日本文化を含むサブカル的な教養に親しんできた人たちでもあるし、単に政治的なことを訴えても駄目だとわかっている。だからこそそれを融合させてエンターテインメントとして水準が高いものを作ろうとしているんですよね。

西森 いわゆる386世代ってやつですよね。表向きは女子のため、エンパワーメントしたいと言いながら、実は反対のことをやっているものってたくさんあるけど、パク・チャヌクは逆ですよね。表向きは破廉恥だけど、中身を見たら……って。しかも『お嬢さん』は、誰が見てもどの方向から見ても不快にならないようになってる。

ハン そうそう、あんなエログロなのに誰が見ても不快にならない。あの美学にみんな陶酔できる。PCありきで映画を作ると、たとえばフェミニズムの立場で映画を作ったら男性が怒るみたいな、「何かのポジションに基づいて映画を作ると、違うポジションの人間が怒る」ってことが出てきたりしますよね。

西森 『マッドマックス』や『アナと雪の女王』のときに、そういう反応がありましたよね。

ハン ああそうなのか。でも『お嬢さん』は、怒りにくくできている。私の言い方だと、ポストPC時代のPC映画なんだと思います。逆ギレさせない正しさの洗練。

西森 『お嬢さん』の結末は、女性たちが今まで自分たちを苦しめてきた男性を直接復讐するんじゃないんですよね。自分の手で復讐することのカタルシスを描くものもありますけど、その後も生きていくことを考えると、そこにすがすがしい未来は残されていない。だから、パク・チャヌクなのに、「復讐もの」からも解き放たれているといえるかもしれません。自分たちの手で復讐しないための伏線もちゃんと貼っていましたね。最後は、残された男性同士が罰し合うような、滑稽なやり取りや、しみじみと我に返る会話をさせている。『マッドマックス』も、結局はイモータン・ジョーに女性たちが手を下すわけではなかったんだけど、『お嬢さん』は、倒すことを目的にするのではなく、「逃げる=自分たちの世界を手に入れる」ことのほうが重要でしたね。

どっちも好きな映画なんですけど、私は『お嬢さん』を見ていても『マッドマックス』を想像しなかったんですけど、この話をしてると、やっぱりつながっているんだなと思いました。

ハン なるほど、よくわかります。たぶんパク・チャヌクはロマンチストだよね。あと、まずはエンターテインメントとして素晴らしければそれでいいと思ってるんじゃないかな。でも『お嬢さん』がすごいのは、ジェンダーや民族や階層といった政治的なポジションの問題を設定やストーリー、美術にまでしっかりと構造的に盛り込むことで、作品に厚みを持たせているところ。それがエンターテインメントの完成度、素晴らしさに帰結している。

西森 試されている感じもしますね。よくある最後に謎を残しておいて、説明不足なことで、それが理解できるかどうかという意味での試され方じゃなくて、層が一杯あるからこそ、どの層を見ているのかが試されている、というか。

ハン 厚みがあって、それがエンターテインメントになっているからこそ、いろんな人が楽しめる。しかも、それぞれの登場人物の偽装とだまし合いのストーリーが必然的に絡み合っている。緻密に巧妙に破たんなく計算されているのだけど、解釈は開かれているし自分の解釈の正しさに疑いを持たせる余地も残されている。そこにはかなりの辛辣さもあるのだけれど、決して説教くさくはない。舌を巻きます。

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