「パフェを食べるっていうのは、性的な行為ですよね」/パフェ評論家・斧屋さんインタビュー【前編】

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パフェに翻弄されるよろこび

――パフェには、どうしても女性的なイメージが付きまといます。男性よりも女性のほうが多くパフェを食べているでしょうし、甘い食べ物や果物はしばしば女性の肉体に結びつけられたり、「女を食う」という表現が女性を犯すことの隠喩になっているように、「男性=食べる側」「女性=食べられる側」という図式もあるように感じられます。斧屋さんはパフェを食べているときに、どういう意識を持っているのでしょうか?

斧屋 僕がパフェやアイドルと相対するときは、二つの立場を意識します。ひとつは他者として見ている、もうひとつが自分自身のように見ている。つまり、ある意味暴力的な部分も含みつつ、対象とセックスをしているような感じになっているのか、パフェを食べることが自分自身との対話になっているのか、ということです。

たとえばフルーツの持つ力が強いフルーツパフェを食べていると、自分の方が女性性を帯びたような感じになって、受動的な方に回ってしまう。僕は精神性の中で「アイドルになりたい」とか「かわいい自分でありたい」と思うことがかなりあるんです。先日あるトークイベントで「パフェを食べているときは自分もかわいいと思え」という話をしたのですが、「かわいい自分」になったり、パフェに翻弄されたいと思う方が楽しいんですよね。そういう受け身になる感覚の方を大事にしています。「食べてやるぞ」みたいな「自分が消費をしている」という意識は極力排した食べ方をしているつもりです。

それに、パフェって構造的にも食べにくいですよね。これは悪い意味ではなく、「どうやって食べたらいいのかな」と自然に思わされて、パフェの都合に自分を合わせていこうという気持ちになる。僕はこれも大事なことだなと思っています。パフェや食べている自分が男性的か女性的かっていうよりは、能動的か受動的かっていう感覚に意識を置いているんだと思います。

ソースやシロップなどが別添になっている「かける」タイプのパフェは、食べる側の自由度が高いので、能動的かつ暴力的な営みになりますね。でも、それを食べて「おいしい」という経験をしたときの感覚って、ある意味では受動的なものじゃないですか。自分じゃないものが体の中に入ってきて、刺激を与えてくる。しかも、どうしようもなくおいしいときって、「もう死んじゃうんじゃないか」って思いませんか? 「イキそう」っていうのとかなり近いんですけど、感覚が鋭敏になればなるほど、「はたしてそれは本当に快楽なのか」ということがわからなくなってくる。逆に殺されてしまうんじゃないか、みたいな。そういうとき、「男性的」とか「女性的」ってすごくどうでもいい。なぜ男性の方が消費する側で、女性がされる側なのか。そこにこだわる必要もないのだと思います。

「食べる」権力を手放すことの快楽

――『東京パフェ学』にも「超越的な存在であるパフェと、有限な存在である自分」という言葉がありましたが、斧屋さんは「食べる」側が本来持っているはずの権力を、自ら手放してパフェと向かい合っているような感じがするな、と思いました。

斧屋 その方が気持ちいいんですよね。自分でコントロールすると、自分の予想の範疇を超えない。僕はなるべく「自分」を超えたいし、驚きたいんです。パフェグラスを掴んで食べてるんだけど、僕は掴んでいるというよりは、セックスのときにベッドのシーツをぎゅっと掴んでいるようなイメージなんですよね。どちらかといえば食べている自分が犯されているような。そこがまた「自分かわいい」みたいなところもあって。だから、自分の中の力みたいなものをあえて全部放り出してしまって、パフェに身を委ねているんだけど、それがやっぱり自由な感じがするんですよね。自分が能動的なのか受動的なのかがわからなくなって、トランス的な深みに入るというか。だからパフェを食べるっていうのは、普通に性的な行為ですよね。

――自分の足場を崩すというか、自分の感覚や常識が揺らがされる体験を受け入れて楽しめる人って、実はそれほどいないんじゃないかと思います。

斧屋 驚くこと自体を不快に感じる人っていますよね。「驚かされたら負け」みたいな。でも僕はやっぱり揺らぎたいし、揺らがされることが好きなんですよね。自分が定まっていないっていうことに価値を見出している。そう思えるのは、根本的なところで自分に自信があって、「自分は揺らいでも大丈夫だ」と思っているということなのかもしれませんが。

パフェと相対しているときも、なるべくパフェの声を内側に取り込みつつ、場合によっては今まで「まずい」と思っていたものを、「それって本当に“まずい”でいいのか?」というのを問い直していくように、つねに暫定的な答えを出しながら更新させていく。その方がおもしろいなと思います。

――口にしたものが変な味だと感じたときに、多くの人は食べ物の方に異常があるんだと考えてしまいますよね。もしかしたら、自分の味覚がおかしくなっているかもしれないのに。

斧屋 僕は基本的に「まずい」って言う自信がないんですよね。そこまで自分の感覚・感情を信じられてしまうのって、すごく怖いことだと思います。それに、自分と対象の相互作用のことを考えないと、アイドルの現場で問題が起こったときも、アイドル側に全ての責任を負わせることになったりします。パフェだって、どうやっておいしく味わえるかを考えながら食べますよね。だから食べる人のコンディションがすごく悪かったり、嫌な気持ちのままで食べたりするときって、おいしいパフェは完成しないんです。

――やはりお互いのことを考えて、対話をしないといけない。性的なことにしてもそうですよね。

斧屋 「対象との相互作用を考える視点はつねに持たなければならない」というのが、僕の評論のテーマなんだと思っています。ただ性的な問題でもそうだと思いますが、難しいのは、相手が本音や要望をはっきり言ってくれないかもしれないということ。だからこそ、かなり繊細な相互作用になると思うんですよ。アイドルだって「みんなのこと見てるよ」って言うけど、「本当にそうなのかな」って思っちゃいますよね。人と人との間には、絶対にそういうことが起こってくる。

アイドルの現場はファンとの相互作用でおもしろくなっていくもので、パフェにもその姿勢は絶対に必要です。ソースをかけたり、手を加えたり、そういう体験でパフェが全然変わるっていうことも重視しないといけない。パフェもまた、声を出さないからね。「声なき声を聴きながら気持ちいいところを探って、そして自分も気持ちよくなる」という感じではないでしょうか。
(聞き手・構成/餅井アンナ

どこまでいっても完成しないパフェと、完成しない自分/パフェ評論家・斧屋さんインタビュー【後編】

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