どこまでいっても完成しないパフェと、完成しない自分/パフェ評論家・斧屋さんインタビュー【後編】

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「正しい道を探し続けること」を教えてくれるパフェ

――去年、京都の水族館がイワシの生姜煮を刺したパフェを出していました。常識的に考えておいしくはないあのパフェを、斧屋さんは否定しませんでしたよね。パフェを評価するのにも、「いい材料を使っている」「味がおいしい」といった、ある意味一般的な物差しに捉われるのではなくて、物差しを毎回取り替えたり、作り替えたりしながら一本一本のパフェと向き合っているような気がします。

斧屋 ある枠に捉われている方が、わかりやすいし楽ですよね。既存の概念とか、「みんなそうしている」っていう枠組みに沿って生きることは、自分で判断をしなくていいし、責任を負わなくていいからすごく楽なのですが、まあおもしろくはない。僕は大人になる前から「普通であることをいかに外していくか」っていう感覚のほうがおもしろいと思っていたので、いかなるときも「自分は普通なんだ。自分が正しいんだ」という感覚は持っていません。

僕はブログがきっかけで評論などを発表するようになったのですが、当時から自分の正しさを証明するつもりはさらさらなく、「今はこう思っているんだけど、もし自分の言うことが間違っていたら教えてくれ」という思いだったんですね。だから当初は毎回自信がなくて、それでも「よくできるならよくしていきたい」と思ってずっと続けていたわけです。自分の書いたものについておもしろいなと思うことはあっても、正しいとはほとんど思わなかった。というよりも、「正しい自分」みたいなものは求めてないというか、そもそもそんなものは存在しないと思っているし。

――「正しい自分」にしがみついていると、何かあったときに、そこで行き詰まりになってしまいますよね。

斧屋 僕が仲良くしたいと思うのは、将棋の感想戦ができる人なんです。自分が間違っていた/勝負に負けた、といったときに、それでもなお自分の正しさにこだわり続けてしまう人がいます。「そもそも負けてない」とか「自分は正しかったんだけどなぜか負けた」とか、よくわからないことを言う。そういう人って、確かに自分の芯を持ってはいるんだけど、その芯は「自分が正しい」というものです。目指すべきは自分の正しさに執着するのではなくて、「自分は正しい方へ向かっている」という芯を持つことなのではないか。将棋で負けたのなら、相手より自分の方が間違いが多かったということだし、「じゃあ正しい道はなんだったんだろうね」と話すのが一番生産的なわけで。

文化一般の話になってしまいますけど、当然パフェやアイドルの定義も同じような宿命を抱えていて、「パフェってなんだ」「アイドルってなんだ」って、つねに問い直しを重ねて変化していくものだと思うんですね。時代によって定義が変わっていくような。

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