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女の子と男の子にかけられた「呪い」と「解放」の違いを描いた『モアナと伝説の海』

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マウイはなにかというと「礼はいらない」と言うのですが、それは自分がいかにもいいことを人にしているかという自負があるからなのでしょう。しかも、ヒロイズムが人一倍強く、自分はヒーローだと連呼するのです。第一印象としては「悪い人じゃないけど大いなる勘違い野郎」という感じです。

しかし、マウイがハートを盗んだのは、生まれてすぐに人間の親に捨てられ、神に拾ってもらって半神になり、人間の愛がほしい一心での行動だったことがわかります。彼は神から与えられた、変身のできる巨大な釣り針をもっていないと不安で仕方がない。ヒーローにあこがれているのも、ちょっとウザいのも、すべて愛がほしいからなのでした。

モアナは「自分の力で何かをやり遂げて、姫(=守られている女の子)から脱却したい」という思いがあります。一方、マウイは自分ではまだ気づいていないけれど、「ヒーロー(人を守る男の子)にならないと愛されない」という思いから解放されたい気持ちがありました。

それは、女の子と男の子にかけられた抑圧が同じではないことを意味しています。

モアナはマウイから伝統的な船の乗り方を教えてもらい、二人で協力して海の怪物に立ち向かいます。しかしマウイは大事な釣り針を傷つけてしまったことで心が折れ、海の怪物に立ち向かうことをやめてしまいます。一人で怪物に立ち向かうことになったモアナは、自分の習得した能力(船の技術)で、困難に立ち向かうことを達成し、自信をつけるようになります。勉強をしたり実績をつけることを反対され、可能性を摘み取られてしまいがちな女の子ならば、モアナが感じた達成感、抑圧からの開放感に共感できるところでしょう。

一方、マウイの及び腰が気になってしまうところです。しかし、ヒロイズムに浸れる強い行動によってしか、自分の存在意義を認められないという呪いにかけられていたマウイは、むしろ怪物から一度は逃げることで、抑圧から解放されたと捉えることもできるかもしれません。

この作品は、女の子と男の子にかけられている呪いは別のもので、それを解く方法も別のアプローチが必要だということを教えてくれます。そして、モアナは姫にならなくていいし、マウイはヒーローにならなくてもいいと知るのです。

最終的に、ふたりは協力し女神にハートを戻すことに成功します。その後、島に帰ったモアナが島の長となる点は、冒険の後に城へ戻ってきた『アナと雪の女王』と一緒でしょう。モアナもまた、伝統の悪しきところは断ち切りながらも、それでも家という伝統とともに生きることは放棄しません。たとえ島に帰り、長となったとしても、島に縛られることはなく、そして姫(=守られている女の子)にならずに自分の力で立っているという実感を持つことが、最良の道なのだというメッセージなのでしょうか。

マウイもまた、ヒロイズムに固執せず、かといって、お守りのように持っていた釣り針を手放さなくてもいいことになります。これも男の子にかけられた悪しき呪い、ヒーローになりたいと固執しすぎて、なにか大きな成果をあげられないことで苦しむ必要はなく、些細なことでも人のためになって感謝されることは悪いことではないと言っているのかもしれません。

悪しき因習からは解放されてもいいけれど、完全に慣習から離れる必要もないのではというのは、確かにどちらの道の可能性も閉ざすことがない。今のディズニーの基本的なメッセージなのかもしれません。
(西森路代)

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