自分探しのために「娼婦は女神」「タイは楽園」と消費しない、知的で誠実な映画『バンコクナイツ』の魅力/鈴木みのり×ハン・トンヒョン

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アジアも、田舎も「楽園」として消費しない

鈴木 2012年から毎年タイに行っているんですけど、バンコク市内にはスクンビットという大きな通りに沿ってBTSという高架鉄道が走っていて、中心部に向かってショッピングモールが増えているんですね。本作でも、客引きのしんちゃんというキャラの「スクンビットでつるんでる日本人は嫌い」というセリフがありましたが、スクンビット通り付近の、日本人の駐在員が多く住んでいるとされるエリアが、中心部から徐々に端の方に移動していると聞きます。

ハン それは日本の経済がダメになっていくのと連動しているんですか?

鈴木 韓国、中国、台湾などの企業の方が勢いがあって、だから日本人エリアが端に追いやられているという話を聞きました。映画の中で、ラックたちの店に来たエラそうな日本人社長がバンコクにラーメン屋を開業したという話について、女の子たちが「どうせトンローの端っこでしょ」とバカにするエピソードがあって痛快でした(笑)。トンローもBTSの駅があってじゅうぶん都会なんですけど、駅から離れるとローカルなエリアになっていくんです。このエピソードはきっと、現地の生き生きした声から拾われて、生まれたんだろうなと思いました。

ハン そういうところからも、この映画のリアリティのありかがわかりますよね。

鈴木 いまだに「タイに行けば儲かる」といった安易な発想で、バンコクにお店を構えようとする人がいるらしいんですよ。例えば「タイなら日本より安くお店が開ける」って、自分ではなんのリサーチもしないで、現地の人に丸投げしてお願いするみたいな。そうやってできたお店がすぐ潰れちゃう、みたいなことはあるらしいです。ちゃんとした企業なら、タイ語を学ばせるていで現地に駐在員を住まわせて、実地調査をしますよね。もしかしたら、トンローにラーメン屋を開いた社長も潰れるパターンかも知れないと思うと、おかしかったですよね(笑)。

ハン 「俺がやればできるはずだ」って思い込んでいるんだろうな。それって「日本はすごい」と相似形だから、つまり裏返すと、相手をバカにしてるってことですよね。

鈴木 大企業では(表向きは)取らないような、適当な態度で、相手を搾取している可能性すら意識していない鈍感な日本人をタイ人がカモにしていると伺えるシーンがあるのも、周辺化してないんだなと感じた点でした。「微笑みの国」とか言われてるけど、タイ人はタイ人でしたたかにやってるんじゃないかなと思います。

それから、ラックの地元である、イサーン地方のノンカーイをありがちな「のどかでいい場所」として描いてないのも好ましかったです。先ほど話した、言葉が搾取されていないという感触から飛躍させて考えたのが、植民地のことだったんですね。タニヤ通りは植民地とも言えるんじゃないかと。一度だけタニヤ通りに連れて行ってもらったけど知らなかったんですが、本作のパンフレットによると、日本人専門の歓楽街なんだそうです。そういう場所で働くとなると日本語を学ばないといけませんよね。ノンカーイのバーでも英語を話すタイ人がいましたが、あれはファラン(欧米系の白人を指すタイ語)を相手にしないといけないから。それってある種の植民地化ですよね。「タイ語なんて必要ないんですよ」と言って、ローカルバスで地方に女性を買いに行く、金城みたいな日本人男性キャラも登場します。

ハン 金城はひどいんだけど、あるあるなんだよね、いまだに。札束で顔をたたくような余裕はなくなっても、ああいうのは全然いる。すごくカリカチュアされた存在。

鈴木 たとえ女性を買っていなくても、そういう人っているじゃないですか。バンコクの中でもカオサンはいまだに「バックパッカーの聖地」と思われているところもありますが、観光地化していて宿も決して安くないし、そこで安いTシャツを買ったりするような、バックパッカーごっこみたいな消費が存在しますよね。もちろんタイでブランド品のパチモンとかパクリTシャツを買うのが楽しかったりもするんですけど(笑)。で、そうすると次は「バンコクなんて都会だから、やっぱり田舎っしょ」という、金城のような発想も登場してくる。

ハン 金城は、そういう彼にとっての「楽園」を永遠に探し続けるんでしょうね。

鈴木 一方で主人公のオザワは現実的に考えて、イサーンに馴染めないことを判断していたんだと思うんです。そこも周辺化してない態度だと思って。

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