鈴木 わたしの話で恐縮ですが、トランスジェンダーで女性化したという点で二重にマイノリティなので、社会基盤が不安定というか、それで恋愛関係に依存というか「誰かに認めてもらいたい」「孤独を埋めたい」という気持ちは想像できるんですよね。なのに「他にも良い人いるよ」とか言われると、目の前の人間関係を軽視していると思えてしまうし、そもそもそんなに選択肢があるわけじゃないよ!って思う。
ハン ああ、わかるって言っていいかどうかわからないけど、それはわかります。私もそういうのある。でもだからこそオザワの肩を持つと、両者の背後にある、大きな構造的な差異を知っているからこその誠実さかもしれない。もちろん単なる男の身勝手を私が深読みしているだけかもしれないけれど。
そういう意味でもこの映画は、空族が作っているし、富田監督自身がオザワを演じているし、やっぱり日本の男の話なんだと思います。周辺化してはいないけれど、とはいえオザワ視点の映画ではある。だから、ラックたちにとってのユートピアはどこにあるのか、彼女たちの目線で、彼女たちの話を、次は観てみたいですね。それは空族の仕事じゃないのかもしれないけど。
鈴木 なるほど。不安定さを解消したくて、古典的な一夫一婦制にハマりたいという発想は理解できるけど、それじゃ根本的な解決にはならないというのは頭ではわかるんです。だけど、先ほど引用した平山さんの論から考えても、稼得能力を得る機会を既得権を持つ側からサポートが目指されるべきだし、弱者が弱者であっても存在できて当然だと思うので、依存関係がダメという見方はしたくないんですけどね。そういう意味でも、彼女たちの「この先」は他人事ではないというか、見てみたいと思いますね。
――ちょっと話を戻してしまうのですが、僕には、オザワは自分探しをしているようにしか見えませんでした。先進国の男性が、なんとなく他の国に行って、目的もなく滞在し、放浪し続けられる余裕って、まさに自分探しなのでは。
鈴木 それは、日本人男性という、ある意味では安定した基盤があるからできる行為で、単に興味があるから行った、とかその程度の話で、先ほどハンさんがおっしゃっていたように「後期近代の先進国の人」という感じがします。いつでも帰る場所があるという前提の上で成り立つような自分探し、とは言えるかもしれません。
ハン 確かに自分探しなのかもしれない。でもそれは人を犠牲にしない、消費しないという意味でいい自分探しのように見える。私は仕事柄、また日本では自分が攻撃される側ということもあって、ネトウヨとか排外主義のことを考える機会が多いというか、考えざるをえないんですけど。今は研究が進んで、必ずしもそうではないと言われるようになりましたが、日本で排外主義が台頭、可視化されてきた当初の2000年代はじめ頃は、格差社会の負け組の承認欲求が排外主義に向かう、という図式で説明されることが多かったんですね。確か10年くらい前、社会学者の大澤真幸氏がその処方箋として第三世界でのボランティア活動を推奨していたのだけど、とくにその後の情勢不安を見つつ、私は懐疑的でした。死の危険をも省みずにどこかの国で井戸掘りしなきゃネトウヨ化を回避できないのか、と。
『バンコクナイツ』のオザワは井戸を掘ってないし、タイにとくに貢献もしてないけど、でもネトウヨにもならず、誰も消費していない。これが自分探しなんだとしたら、ありなのかもしれないと思います。声高に説明されることはなかったけど、オザワはラックをおいて国境地帯を放蕩し、謎の集団や幽霊と邂逅しつつ戦争の痕跡や植民地主義の影を胸に刻み、とはいえ何か行動を起こすのでもなく、タニヤ通りに戻って、1人でダメ男の生活に戻りました。
鈴木 その前に、ノンカーイで金城と再会して、彼に「日本人で良かったですね」っていうセリフがグッときて涙ぐんだんですけど、エア銃を構えるところはかっこつけすぎだろー! と思いましたが(笑)。そのあと、オザワは実際バンコクで銃を買いますが、『タクシードライバー』的というか、やっぱり空虚を埋めるためだったんでしょうか。
ハン うん、たぶんあの銃は1人でダメ男をやっていくための心の支えとして必要だったんじゃないかな。この辺はマッチョの名残というか厨二病っぽいけど、まあ許すか(笑)。なんか私ほめすぎっていうか甘すぎるかな。いやでも、男がみんなあんなんだったら個人的に私はむしろ安心です。そういう意味での不快感は一切なかった。
鈴木 ええ、わたしも不快感はないんですよね。オザワはむしろ好きかもしれない。
ハン 銃といえば、オザワが元自衛官で実際に銃を扱えるっていうのは、結構重要だと思っています。彼がカンボジアでのPKO活動に参加して何を経験したのかは語られないけど、色々と想像させますよね。オザワが何度か英語で自分のことを語るとき、Self Defense Forcesっていう自衛隊の正式な訳語も使っていたけど、単にJapanese Armyと説明した場面もありました。そっちのほうが通じる。そりゃ現実的に考えて普通に軍隊だよね、っていうリアリティをものすごく感じて。そして日本で自衛隊員になる人ってどういう人なのか……。この辺のことが普通に登場する日本映画っていうのも稀有なのではないかな。