それに、誰とも比べられることもないのが楽だったのを覚えている。勉強もスポーツも、ただ自分自身と闘えば良いだけのことで、単純にその経過や結果に直結して、叱られたり褒められたりした。
我が家は勉強よりもスポーツでの教育に力を入れていたので、物心つく頃からスポーツのクラブチームに入団させられ、祖母も母も身体を張って教育、試合ともなれば家族総出で応援に来てくれた。
そんな家庭環境で育ったことのメリットとしては、家族との結び付きが強くなったことや、他者と自身の能力を比較せず自分だけを見つめて生きることができた点だ。
デメリットもあると思う。大人しかいない中で育ったからか、他人の顔色を伺うようになったことや、他者と自身を比較しないことで闘争心がほとんどと言っていいほど、ないこと。
もちろん、これは私の場合であるし、世の中の一人っ子が全員該当するかといえば決してそうではない。それに、そもそもこれらの性質が「一人っ子だから」に起因するかどうかも不明だ。
私の場合、よく「一人っ子である」ことを知られたときに「見えない!」と言われる。「一人っ子」に「見える」「見えない」とは一体どういうことなのか? 一般的には「ワガママ」「協調性がない」などに該当するのだろうか。
私が実際のところ「ワガママ」か「協調性がない」かは自己分析できないが、そりゃ社会の中に於いて人間関係を築こうとするならばそれ相応の振る舞いをするだろう。
つまり、いくらでも猫をかぶることは可能。根っこの部分から全て晒せる相手なんて、どんな人だって数えるほどしかいないんじゃないだろうか。
自我しか存在しない幼児期ならともかく、いい歳した大人の振る舞いや言動を見て「一人っ子かどうか」を判断しようとするのもいかがなものかと思うが、そもそも「一人っ子」そのものが可哀想なのでは決してなく、家庭内における自分のポジションによってそれがその後の成長にどう影響していくのか、「一人っ子かどうか」というステイタスだけでは計り知れない。
「あの子、〇〇(ネガティブ要素)なところあるよね~」
「あ、一人っ子なんだ、納得」
我が家の大人たちは、とにかく「しつけ」には厳しかった。
特に挨拶や、食事のマナー、公共の場所での振る舞いなど。「できなかった」時にはよく母からぶっ叩かれたものだ。
昭和時代の教育なのかもしれないが、きちんと謝ることができないうちは玄関から追い出されたり、押し入れに閉じ込められたりもした。
「勉強しなさい」と言われたことはなかった。通知表の1をもらおうが、大してリアクションしてくれず、それが悔しくて親をあっと驚かせてやろうと猛勉強。
結果学年1位とかになって(その時だけ)、ドヤ顔で母にテストを見せるも「A(私)はそれを何のために頑張ったの?」と顔色ひとつ変えず言われ、子供ながらに考えさせられた。
部活を引退した中3のある日には、周りが嫌々ながらも塾に「行かされてる」という状況が羨ましく、私も通いたいと打診するも、あえなく惨敗。
冬には、やれ塾だやれ受験だとソワソワする中3特有のアレが何だか羨ましくも見えた。
でも確かに、あのまま塾に通ったとしても私は勉強なんてしなかったと思う。塾に通ってる自分に酔って楽しんでいただけだろう。
成人してから当時のことを母に尋ねると、「勉強しなさいとケツを叩くことは簡単だった。でも何のために頑張るのかは自分で見つけてほしかった」とのことだ。また、私が当時感じた不自由さ(良い点を取って褒めてくれない・塾に行かせてくれないなど)に於いては、その「悔しい」思いが、正しい方向に向くように、だったそう。
そんな学生時代を送った私は、一人っ子だろうが何だろうが、「親」と「子」としての、我が家なりのしつけを受けてきたつもりだ。
残念なことに、一人っ子は「甘やかされて育った」という何ともシンプルなイメージが根強くあるようだ。親の愛情を一心に受ける=甘やかされる、は必ずしも一致しないと思うが、大人たちの関心や愛情を独り占めして育ったという事実がそういったイメージにつながるのだろうか。
一人っ子として育った自分が別にまっとうな人間だ! だなんて主張はしないけれど、人間関係に於ける「不完全さ」や「未熟さ」を見るにつけ、「兄弟関係」を因果づけるのはどうかと思う。
血液型占いと似ている。「あの子B型!? やっぱり! 自己中だもんね~!」と一緒だ。
「兄弟作ってあげないと可哀想」発言の軽さ
今、結婚して夫と新しく築いた家庭には10カ月になる息子がいるが、産後しばらくしてから会った人には結構な確率で「二人目はぁ~?」と聞かれる。
もちろん、こんにちはとかお疲れ様でしたレベルの「日常会話」のつもりで発言しただけという人もいるだろうが、帝王切開の辛さを味わってから1年も経たない私には、二人目の出産は考えられなかった(今でもだけど)。
だが、それを素直に伝えると「え~! 一人っ子じゃかわいそうだよ」と、否定的な言動を浴びせられることが多かった。
この言葉を聞くにつけ、ついイラッときてしまう。
一人っ子が可哀想だという決めつけが、私自身をも否定されてるようで腹立たしいというのもあるのだが、どうして「一人っ子のメリット・デメリット」「兄弟が居るメリット・デメリット」としてそれぞれの観点から考えられないのだろうと憤りを覚えてしまうのだ。