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知識を手にすれば、他者を傷つけずにすむ。『LGBTを読みとく』著者・森山至貴氏インタビュー

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知識だけでは足りない?

北村 この本の冒頭には、「『知っていれば他者を傷つけずに済むことがあれば知っておきたい』というのは、とても前向きな考え方だと私は思います」(p. 8)と書かれており、全体として知識への大きな信頼があると思います。私もはじめの一歩としては知識が絶対に重要だと思うので、このポジティブな考え方には個人的には大賛成です。しかし一方で、知識を提供するだけではうまくいかないのではないかという不安があり、とくに教育の場ではそれを感じます。

専門家が知識を与えるだけでは、むしろ受け手が警戒・曲解してしまうことがありますし、「上から目線のポリコレ」みたいな反発がみられることもあります。専門家が知識を出すだけだと問題が起こってしまうというのは科学コミュニケーション論などでよく議論されるところだと思うんですが、ジェンダーやセクシュアリティなどでも問題が起こるところがあるのではないかと思います。本書でも94ページで紹介されているトランスフォビア的なフェミニズムの議論などは、知識だけでは偏見がなくならないということの例であるように思えます。この点についていかがお考えでしょうか?

森山 知識を注入すれば何かが解決するよ、っていうのはもちろん単純化された議論ですよね。

しかしながら、知識を持ち、良心にもとづいてその知識を使用していくことが必要だとした場合、私の本に限って考えるなら、問題の半分は解決済みとしていいだろうと思うんです。この本を手にとってくれた時点で、その人はLGBTになんらかの興味があるんじゃないかと思うんですね。知りたいと思っている人向けに書くという前提があるので、「知識を詰め込んで」やろうというのではなく、「相手が知りたがっていることを提供するんだ」という気持ちで書きました。漠然とLGBTに対して持っていたイメージのようなものを知識に置き換えることにより、人間同士のやりとりがスムーズになったり、差別を減らしたりすることができるようになりますよ、っていうポジションで書いています。逆に言うと、LGBTについて全く関心がないとか、反発心がもともとあるというような人に対して話す場合はこういう感じにはならないと思います。

一方で、ひねった答え方もできます。偏見が差別を生むという単純化はできない、ということもこの本では言っていますし、偏見がなくても差別は起こります。偏見と差別と知識の関係って単純なひとつながりの鎖ではないんです。この本については、あなたに偏見があるかどうかは知らないが、その有無にかかわらず知識があれば差別はしなくても済みますよね、という読み方をしてもらってもかまわないと思っています。たまに「あなたが私の内側にある偏見をなんとかしてくれないと私はあなたを差別します!」みたいな恫喝の仕方をする人がいます。でも、たとえばナイフで人を刺したいと考えている人がいたとしても、実際に刺さなければ周りの人に危害を加えることにはなりません。ここで大事なのは、その人の気持ちは知らないけど、ともかく刺すのをやめてもらうことです。だから、心の中に偏見があるのはまあ知らないけど、その偏見をこちらに向けないでほしいという考え方は十分あり得ると思います。

この本を読めば、何をすると偏見の表出になるのか、というのはけっこうわかると思うので、偏見を抱えたままでもかまわないからそれを表出して差別で人を傷つけることはするな、と突っぱねることも大事だと思います。知識だけで偏見はなくならないとしても、差別とそれによって人が傷つくことをなくすのにはやりようがあるはずです。これは若干戦闘的な応答になりますね。

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