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知識を手にすれば、他者を傷つけずにすむ。『LGBTを読みとく』著者・森山至貴氏インタビュー

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クィア・スタディーズの地平

北村 最後の質問にいきたいと思います。この本はLGBTに絞っていますが、クィア・スタディーズと言った場合、かなり広くセクシュアリティに関する事柄を対象とすると思います。私は海外のシェイクスピア学会でひたすらお天気の話だけするクィア批評の発表をきいたことがありますし、また私がやっているask.fmに「クィア的な視点からBDSMについて扱ったものでおすすめがあったら教えてください」という質問が来て、あるはずですが全然、思い当たらなかったことがあります。この本はクィア・スタディーズの本としては本当に入り口の部分だと思いますので、おそらくこの本から想像されるものよりかなり広く深い射程を持ったクィア・スタディーズの魅力についてコメントをいただけますと幸いです。

森山 この本は、セクシュアルオリエンテーションとジェンダーアイデンティティという2つの概念の組み合わせでさまざまな性のあり方が見えるんだよ、っていうところから始まるんですが、そもそもこの2つの概念だけが重要なのか、という問題はあります。たとえばある人が、自分の性のあり方においてはBDSMみたいな嗜虐性や被虐性のほうが非常に大事なことだと考えているとしたら、なぜセクシュアルオリエンテーションとジェンダーアイデンティティだけがことさら重要とされるのか、という感覚は当然出てくるだろうと思います。

ですから、クィア・スタディーズではセクシュアルオリエンテーションとジェンダーアイデンティティの話だけをすると思われてしまうのはまずいんですね。しかしながらそれと同時に、全く何も知らない人にいきなりSMの話とかから入ると、読み手が非常にびっくりしてしまってちょっと逆効果かなとも思ったんです。この本ではあまり人から反感を持たれない部分からスタートして、性の持つある種の「きつい」部分みたいなところまでたどり着いてもらうことも実は狙っています。「この本はお行儀が良すぎる」というのは私にとてはもっとも避けたい批判の一つなので、それもあって読書案内では性に関する風俗の緻密な研究で有名な井上章一とか、BDSMや小児性愛に関して挑発的な文章を書くパット・カリフィアの名前をあげて、「行儀が良くてきれいなもの」だけだと思われてはいけないということを書いたつもりです。「好きになる人の性別が違うだけでどこにでもいるいい人なんですよね」みたいな話では全くないのだ、というのはどこかで言及しないといけないと思っていました。本の中にもある言葉を使えば、ここに書かれているよりも「下世話」な部分は絶対にあるはずです。クィア・スタディーズはきれいなだけの話ではないし、そうあるべきでもないと思います。それはこの本の次の段階として、読書案内を見ながら進んで欲しいと思います。

北村 私も、授業をしていて『ロミオとジュリエット』みたいな純愛ものだと学生がついてきやすいんですが、一方で泥沼不倫を扱った作品とか二股艶笑喜劇みたいなものを読んだりすると学生が引いてしまったりすることもあるので、なんとかきれいなところから入って、でも文学や映画はそれだけではないですよっていうところに行き着いてほしいなとはいつも思っているので、教員としてはその苦労がわかります。

また、もう一つ指摘しておきたいところとして、クィア・スタディーズが扱うものとしては不倫とか乱交とかいわゆる「下世話」なものがある一方、逆方向で「処女性」を扱うとか、ほとんどセックスが出てこないような事柄も研究対象としていると思います。クィア・スタディーズはセックスが山ほどある状態から全くないような状態まで、いろんなことを広く分析できる研究だというのを読者の方に知っていただけたらいいんじゃないかなと思いました。

森山 そうですね。お行儀のいい「普通」の市民としてのセクシュアルマイノリティの話だけをしたいわけではない、と気付く人には気付いてほしいと思って書きました。

北村 クィア・スタディーズの広さを意識しつつ、この本を読み終わった方々にはいろいろな方面に関心を広げていって頂きたいなと思います。

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