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“ザーメンまみれに”との痴れ言を「筒井さんらしい」で許す錆びついたマチズモ

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「コラム書き終えて原稿を論説室の女の子に渡す時に、必ず『ああー、射精した気分だ』と言っていたのが忘れられない(笑)」

久保紘之(ジャーナリスト)/「WiLL」(2015年7月号)ワック

 現在は「月刊Hanada」で連載されている堤堯と久保紘之の対談で放たれていた上記の発言は、この連載の初回で取り上げたものだ。特別ゲストとして産経新聞のコラム『産経抄』を30年以上も書き続けた石井英夫を招いたのだが、この対話の中で上記のようなエピソードを楽しげに語る。今回の筒井の言い回しに似ている。かつて産経新聞に在籍していた久保が、石井がこのようなことを言っていたと口にすると、石井は「そんなこと言ったことないよ! 気持ちはそうだけど(笑)。口にしたことはないと思うなぁ」と否定する。久保はさらに「言ってましたよ(笑)。それを聞いて、『ははぁ、物書きとはこういうものか』と感激したものです」と続けた。その対話の近くにある見出しには「コラム執筆は“射精”?」とある。まったく不快である。

 末端の物書きとして「物書きとはこういうもの」とされるのは実に心外なのだが、こういった単なるハラスメントを平然と述べ連ねてしまえるのは、「ハラスメントに厳しくなった世の中でもぶっちゃけ続ける俺たち」に対して、下手すりゃ「うんうん、彼らは勇気があるな」と喝采を浴びせる読者がいるからである。少なくとも、限られた雑誌や論壇ではそういった雰囲気が保たれ、これくらいイイじゃんかグヘヘヘ、と徒党を組んで嘲笑し続ける。まさしく「皆で前まで行って」の一体感ではないか。

 「ザーメンまみれにして来よう」と書く下劣を肯定しようとする動きには、総じて無理がある。彼のキャリアを分析しつつ、「筒井康隆氏の作風を知っていれば、筒井氏ほど『同調圧力』に異を唱えてきた作家は居ないことが理解できる」(Yahoo!ニュース個人・古谷経衡「筒井康隆氏の『慰安婦像ツイート炎上事件』をどう捉えるべきか?」)と議論を持ち運ぶ姿勢は、筒井の言い訳「あんなものは昔から書いています」と呼応しているからこそ危うい。これまでのキャリアを振り返って考察するまでもなく、これは単なる凌辱である。論説室の女性に「ああー、射精した気分だ」など言っていたと回顧するオッサン言論と筒井の作家性を区分けして考えたがるだろうけれど、まったく同質である。

 いつまで慰安婦問題をやっているんだ、もう日韓合意したじゃんか、との呆れ顔も目立つが、その呆れ顔を真っ先に向けるべきは、問題視し続ける側ではなく、筒井のように問題を茶化し直す存在ではないか。筒井の発言についてフォローしたい人は、それが名も知らぬ誰かのブログやツイートであったとしてもフォローできたのだろうか。彼の特権を踏まえた上で容認していたのであれば、その姿勢って浅ましいと思う。錆びついたマチズモを作家の特性として磨き上げるようなことがあってはいけない。

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