沢尻エリカやいとうあさこが代弁、急上昇ワードの『女が嫌いな女』に見る「同性だからこそ」の幻想

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 一方、ライターの北条かやは一部でかなり嫌われている(というか軽蔑されている)女性だが、3月に更新したブログ記事「大前提として、ワシは昔から、女性同士なら、男社会における被害者意識を共有できているもの と、思っているんですよね」「でも、自分がなにかしらの不満をつぶやくと、男性のみならず、女性からも 自分だけ悲劇のヒロインぶって みたいに、思われることがあると気づいてからは、女が、女としての私の気持ちや、不調を理解してくれるなんて、甘い幻想は捨てよう と、絶望していたんです」などと綴っていた。

 これもこれで本当にびっくりしたのだが、女性同士なら「男社会における被害者意識を共有できて」「女としての私の気持ちや不調を理解してくれる」はずだとどうして単純に思いこめるのだろうか。女性という属性だけで皆が思いを共有できるというのは確かに幻想なのである。世代や置かれている状況により立場は異なるし、立場も環境も生年月日も同じ人だとしても考え方は全然異なるのが“普通”だからだ。誰にとっても性別・世代を問わず、敵もいれば味方もいるのである。属性が同じだったり共通項が多いから仲良くできるはず、なんて思い込みが一般に浸透しているから「女の敵は(意外にも)女!」なんて企画や「女に嫌われる女」企画もウケるのだろうが、前提がバカげている。

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