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妻や母になった人は自己犠牲が当たり前? なぜ夫に「子供を預かってもらってる」「働かせてもらってる」と気を遣うのか

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妻だろうが母だろうが(もちろん夫だろうが父だろうが)関係ない。快適な生活を追求する権利はある

女性自ら内面化した規範に従って、「妻なのだから」「母なのだから」と自らを縛り付けキャパオーバーになってしまうこともしばしばある。夫と均等になるところを調整し、双方が上手く手を抜くことができる生活を追求すれば良いと思う。だけど「そんな話し合いが出来たら苦労しないよ」という嘆きも少なくない。

結婚して、母親になって、どんどん不自由になって、「でも愛があるから大丈夫」? 大丈夫なわけない。そんな不均衡はおかしいのだ。仕事をして得る金銭も、家庭内の快適な環境も、子供を育てていくことも、夫婦二人のものなのだから。

仕事も家事も子育ても同時進行しようとすれば、できないことがあって当然だと思う。逆に全てをコンプリートしようとすれば、削られていくのは自分の時間だろう。

ここを主張すれば、ネット上の立派な「先輩ママ」から「自分の時間なんてなくて当たり前です。」と喝が来るだろうか。

では、なぜ当たり前なのだろう?

「子供がいたら自分の自由なんてなくて当然!」と皆言いがちだが、それが当然であることを説明出来るのだろうか?

我が家では、夫がフルで働くのに対し私はショートタイム契約で仕事をしているが、手がかかる時期の息子の世話も片手間ではできなくなっているし、家事も日々山積みだ。

そのため、私が仕事の日の夫の夕食はスーパーの弁当もしくはインスタントに近い簡易的な食事で、と決めているし、夫が休みで私が仕事の日は夫が家事をしている。

少し前までは、『夫の休み=夫の休息日・私の休み=私が家事に専念できる日』だったのだが、息が詰まってしまう前に夫と話し合い、双方がフラットに息継ぎできる生活を日々追求している。

ただ、私たちと同じように共働きのすべての夫婦に対してこういうやり方を、と推奨したいのではない。

「妻とは、母とはこうあるべき」というイメージのみの暗黙を押し付けたり、それに囚われて、深く追及もせず「これが当然」と思い込んでしまうのは、女性全体の自由を奪うことになる。

夜に出かけていれば「お子さんはいいの?」と言われるし、女性としてのファッションを楽しんでいれば「子育てしてたらそんな余裕ないハズ」とまるで育児を無下にしてるかのような物言いをされることもある。いずれも不本意だ。

別に外で友達とワイワイ楽しんだっていいじゃないか。流行のお洒落を楽しんだっていいじゃないか。

独身時代であれば誰も何も咎めないことを、母になった途端にまるで非人道的なことをしているかのように非難されるのはおかしな話。

そりゃ中には、仕事を持ちながら家事も子育ても自分が全て立派にやり遂げる! という立派な信念をもち、それでいてそれを全く窮屈に感じないストイックな女性もいるんだろう。それはそれで、その人に合ったやり方なのだから信念のまま遂行し、生き生きできるのなら良いことだと思う。

妻になろうが母になろうが、あくまでも「自分として生きる権利」があるということを、まず女性皆が当たり前に認識してほしい。

その上で、どう生きるのが自分らしく楽しい生活を送れるのか選択すれば良いが、「妻とはこうだ、母とはこうだ」という、何の追及もしない暗黙のルールを飲み込んで納得してしまっていては、それを無意識に発信する機会もあるだろうし(特に有名人による発信は影響大だ)、知らぬうちに女性の人権が奪われていきかねない。

そうは言っても夫が取り合ってくれないというケースや、夫がどうしても家事をやらないから結局自分がやらなければ……という家庭も実際は多いだろう。

私も少し前まではそうだった。

それならそれで、せめて自分自身が「不満」としてきちんと認識すれば良いではないか。声を大にして愚痴れば良いではないか。

大切なのは、窮屈な思いを「妻(母)なのだから仕方ない」と、誰が決めたわけでもないルールに納得させられ消化してしまわないことだ。

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