「和菓子」「教育勅語」「銃剣道」。明治時代のアイコンを取り沙汰する「現代道徳」の薄っぺらい愛国心

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紙切れの「愛国心」

 上に記した通り、日本のパン食も和菓子も、異国との交流によって生まれた食文化であり、時代時節とともに日本独自のスタイルを築きあげてきた共通点がある。歴史が長い分、「伝統文化」というにふさわしいのは和菓子だろうが、そこには唐や南蛮のお菓子も含まれる。そもそも和菓子とは、明治時代以降に登場した洋菓子と区別するために生まれた言葉である。それ以前の古き良き日本の食文化に和菓子という言葉は存在しないのだ。

 ちなみに、「あんこ」を用いた和菓子の代表格であるおはぎ(ぼたもち)が一般普及したのも、明治時代からだそうだ。あんパンとほぼ同期である。その時代背景を鑑みるに、同じ「あんこ」を使った食品でも、米を使う和菓子のおはぎは愛国的であり、あんパンはパンだから愛国的ではないと安直に分類することはできない。その他、この小さな島国で育まれた文化は、時節の交易や外交において、他国の影響を少なからず受けている。

 「パン屋」を「和菓子屋」に書き換えた教科書制作者は、こうした背景を考慮したのか。中国やポルトガルのお菓子を愛する心も「愛国心」なのか。かつての南蛮は、現在の西洋だが、明治以前からある洋菓子と、以降に登場した洋菓子の違いは何か。「パン屋」ではなく「カステラ屋」ならば、書き換えなかったのか。伝統とは、「単純に歴史が長い」状況のみを指すのか。ならば、伝統たり得る年月は、一体何年だ。説明してみせろ。

 あるいは、明治の西洋化が憎いのか。現政府が容認する「銃剣道」は、西洋化を拒んだ。「教育勅語」は、西洋化と人権を尊重する近代憲法に浮かれた明治の国民の気持ちを引き締め、今一度天皇制の下に統括させる役割を担った。現政府は、文明開化の開かれた世界観とは逆行する、「内向き保守」の明治のアイコンばかりを平成の世に復活させたがる。明治の西洋化を否定したいのか。

 以上のような問いがいくつも湧くが、「道徳」の教科書制作者が重視したのは「内容の妥当性」ではなく、お上に阿る「通常業務」の忖度である。歴史の整合性を考慮していれば、「和菓子」という曖昧な概念を公共教育の教科書に迂闊に反映することはできない。反映されたということは、考慮なし、妥当性は「特に気にしていなかった」と考えられる。

 そのようなお役人の「内容を伴わない下請け根性」が、児童教育の現場に反映される。政府は、「戦争を肯定する」「明治時代の道徳心を国民に再教育する」と明言せずして、薄らぼんやりと明治の黒アイコンを取り沙汰する。心の底から「和」に心酔し、再評価を提唱したいわけではなく、「洋」や多様性へのコンプレックスを解消するための仮想味方として、短絡的に「和」を利用する者もいる。

 紙切れのように「愛国心」を扱う空虚な体制が物語るものは、「愛国心」の軽視に他ならない。説明も説得力もない薄っぺらな「愛国心」をスルーパスされたところで、国民が受け取って差し上げる義理はない。国民は受け取ると盲信してスルーパスを行っているようなら、国民を馬鹿だと思っている証拠である。

 木村屋のあんパンの方が、よほど「愛国心」がある。和洋の食文化のハイブリッドであるあんパンは、文明開化を象徴する革新的な食品だった。が、国民に愛されるパン食として開発され、桜の塩漬けといった和の象徴をあしらい、百十数年の時を経た現在も国民の食生活を支え続けている。その歴史を思えば、あんパンは「文化の継承に支えられた国民食」と言える。木村屋の姿勢には、国や民に貢献する精神を窺える。また、現代の多様なパン食文化を見渡してみれば、あんパンはすでに保守派である。

 2017年のパン屋さん忖度事変は、西洋式の術を捨てた「銃剣道」のごとく、洋菓子と和菓子が分類された明治時代の「洋」(革新左派)を捨て、「和」(保守右派)を尊ぶパフォーマンスとして国民の目に映った。他方、あんパンは和洋両文化を尊重したうえで日本人の食生活に貢献し続ける。どちらかのために、どちらかを切り捨てず、無駄な二項対立を煽らず、共存共栄の姿勢を揺るぎなく維持している。

 そのあんこのどっしりとした重量感さながら、どんと構えた強さたるや。戦争を知らない机上の空論世代の「愛国心」は、戦火をかいくぐって尚国民に愛され続けるあんパンの実質的な求心力にはかなわない。現政府や省庁は、国民に長く愛されるあんパンの存在感および愛されるに足る説得力を、真面目に見習ってみてはいかがだろうか。

 

参考文献:
石毛直道「日本の食文化史」岩波書店
「食の歴史書 Hand Book」日本出版制作センター

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