SNSはあくまで「日々の生活風景を載せる」ことを主体としている(ハズ)だから、たったその写真1枚だけで見た側に「これが私の日常」と思い込ませることができ、「幸せ」や「リア充」を装うことが出来るが、結構な労力だと思う。
風景を選び、完璧なメイク&服選びに光の当たり方や角度、それに加えて加工作業まで……となると、日常どころか「海外旅行いってきました!」ぐらい大イベントな写真のはずだ。
仮に全く同じ写真を、特定の友人にLINEなどで送ったらどうだろうか? 「これが日常」だと思い込ませられるだろうか? 恐らく相手は「わざわざ撮った特別な写真」として認識するだろう。
SNSは「通りすがり」並に“さりげなく”幸せさ、裕福さ、美しさを見せることができる。時間や労力を犠牲にして撮った最高の1枚でも、「何気なく撮った日常的な1枚」に見せることができる。偽りの自分を演出しやすい。だからハマる人もいるし、私には面倒くさい。
うっかり純粋に、「ああ、ステキな日常! なんて素晴らしいママ!」と数枚の写真を信じて、「それにひきかえ、私なんて……」と卑下してはいけない。インスタ以前、アメブロでママタレ参入が流行った時代にも同じような空気だった。
<いつも笑顔で優しくて、子供に愛情をたっぷり注いでいるママ>の姿を見せ付けられて、しんどくなる母親。また、そういう表面を信じて「女は子育て得意だろ」と信じ込む男性や、独身の若い女性。
演出されたSNS上の虚像を素直に受け止めてしまうと、子供を産めばどんな女性も、聖母になれるんだろうと誤解してしまう。
私(30代)が漠然と抱いていた母親のイメージは「母乳」「抱っこ」「添い寝」などがあり、私も何の疑いもなくそこを目指した。それは自分が幼い頃~独身時代に見てきた自分の母や周囲の母になった女性がそうしていたからだ。
私の場合は実践していく中でそれらがあまりに肌に合わず、今の私の子育ては過去にイメージしていたそれではなくなっているが、方向転換は決して容易ではなかった。自分の意識を根底からグルッと変えるのって、非常に難しいことだ。
実は先日、怖い現場に遭遇した。
外出先で、幼い子供と2ショットで自撮りに励んでいる母親を見た。お子さん2人を連れているが、3ショットではなく2ショット。というのも、大きいほうの子供(でも未就学児だと思う)はあちこち走り回っていたから、おとなしく写真におさまる感じではないのだろう。
「ハイ、チーズ、パシャ」で終わるような単純なものではなく、何度も自身の髪型を直し、角度や光の当たり具合を修正しているのか1枚を撮るのにかなり時間がかかっていた。
その間に、もう一人の男の子(おそらく上の子)が遊歩道の手すりに足をかけ、バランスを崩し転びかけた。危ない、と思った。母親も気付き、慌てて「何やってるの!!」と怒っていた。
やっぱり、目が離せないから子育ては怖いのだ。24時間キラキラかわいい状態での子育ては、どんな超人女性でも無理だと思う。演出もほどほどにしたほうがいい。
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