日本の異常な「地毛証明書」が、アメリカでは有り得ない理由:I Love Me!

文=堂本かおる
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Photo by Przemek P from Flickr

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 Twitterでの投稿と朝日新聞の報道によって日本で議論を呼んだ「地毛証明書」。アメリカ在住であり、しかも中学生の息子を持つ筆者には非常に違和感のある話題だった。今回はその違和感とアメリカ的事情についてあれこれ考えたことを書いてみる。

 まず結論から言うと、アメリカでは「地毛証明書」は存在し得ない。以下、その理由を思い付くままに挙げてみる。

1)人種民族が多様なのであらゆる毛質・毛色が存在し、「黒髪・直毛」のように全校生徒を同じ外観にすることが土台不可能
2)そもそも生徒の髪の色と質を「全員同じ」にする概念も必要性も無い
3)いわゆる「生徒らしい外観」のイメージが日本と異なる
4)校則の厳しい一部の学校を除き、公立の小中高校であっても毛染め・パーマは問題とならない
5)特定の身体特徴を持つ者にのみ「証明書」を持たせることは差別/人権侵害と捉えられる
6)未成年に「生まれつきの自分の姿」を証明する証書を持たせることは自尊心を傷付け、教育上望ましくないと考えられる

 逆に日本的視点から言えば、「日本人は本来黒髪・直毛である」&「生徒らしい外観というものがある」ので、その2つに沿う髪型&服装(制服)にすると全校生徒が自ずと同じ外観となる。これが「学校のあるべき姿」なので、当てはまらない生徒は「問題視」される。したがって染毛・パーマは禁止。生まれつきの茶色い髪やウェーブ(いわゆる天然パーマ)は「仕方ない」が、「染毛・パーマを施しているのに地毛だと嘘を付く生徒がいる」から地毛証明書を発行する。ということなのだろう。

 日本的視点から抜け落ちているのが、生徒の人権と自尊心への配慮だ。

地毛証明書は「パスポートと同じ」?

 「校則違反」の染毛・パーマを施しているのに地毛だと嘘を付く生徒がいるとしても、そのために生まれつき茶色だったり、ウェーブがかかっている髪を「校則どおり」自然に保っている生徒に証明書を持たせるのは本末転倒だろう。

 筆者がそうツイートすると、地毛証明書は「外国に出る際、自分を証明するパスポートと同じだ」というリプライがあった。そうだろうか?

 広い世界にはあらゆる社会事情・法律・思想・宗教を持つ国があり、戦争や紛争中の国すらある。「大袈裟な。そんな国には行かないよ」という人も、平和なはずの海外旅行先で予想外の事故や大規模天災、さらにはテロに遭遇する可能性はある。その際、自国ではない場所で身の安全を確保し、最終的に日本に帰国するにはパスポートによって自分を日本人と証明する必要がある。世界が国を単位として構成されているがゆえだ。(ここまで読んでもまだ「そんな大層なことは起こらないだろう」と思う人もいるかと思うが、海外在住の日本人なら多かれ少なかれ、こうしたことを考えている)

 こうした目的と機能を持つパスポートと、教育機関である高校で発行される「地毛証明書」は意味合いがまったく異なる。未成年であり、学力や思考能力だけでなく情操的にも発育途中の、つまり多感な10代に対し、生まれつきの身体特徴である茶色い髪やウェーブ、もしくは縮れた髪を「普通ではない」「ダメなもの」と断定し、証明書を持たせることの残酷さよ。学校によっては幼少時の写真を添えたり、教師が「髪の先を濡らして天然かパーマか調べる」とも聞いた。ここまで来ると、もはや異常である。

 教師もさすがに生徒に面と向かって「おまえの生まれつきの髪はダメなのだ」とは言わないだろう。しかし多数派の黒髪の生徒は看過され、少数派だけが証明書の所持を強いられるのである。民族浄化に通じるものすら感じる。仮に生徒本人がはっきり自覚しなくとも「地毛証明書」は生まれつきの身体特徴、個性、自尊心、そして人権をも否定する制度なのである。

 アメリカで今年発表されたジョン・ホプキンス大学の調査によると、アメリカで同性婚が認可されて以来、高校生の自殺未遂が年間13万4千件も減っているとのこと。結婚が認可されてもほとんどの高校生は今日明日に結婚するわけではない。それでも社会が自分を認めてくれた、受け入れてくれたという心情が自殺を減らしたのだと解釈されている。

 LGBTへの差別は深刻な精神的ダメージとなり、さらには暴力を伴うことすらある。日本での茶色い髪、ウェーブのかかった髪への反応と同じレベルでは語れないかもしれないが、上記の調査結果は10代の若者にとって社会に受け入れられることがどれほど重要かを物語っている。

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