「好きな人に出会える場所にいたい」青森出身の飲食店勤務女性が10年間東京で生活する理由/上京女子・ケース1

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Photo by 赵 醒 from Flickr

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新宿。私(いち上京女子・ライター)はとあるカフェにいた。12時開店だというそのカフェに、12時5分に足を踏み入れたのだが、空いていたのはカウンターの2席のみ。神戸から上京したての頃、なんの変哲もないカフェにも並ばなければならないことに驚いた。東京に住み始めて10年以上たった今でも、人の多さにはまだ慣れない。

人混みにうんざりすることも多いこの土地に住み始めたのは、誰に頼まれたワケでもない。自分の意志で上京し、そして自分の意志で、生まれた土地に帰ろうとしないのだ。

この連載では、私と同じように、「どこかから上京し、そしてまだ東京で生きている」そんな女性たちの声に耳を傾ける。

今日の上京女子/えりちゃん(仮名) 34歳 飲食店店長

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新宿付近に住んでいるえりちゃんとは、私が大学生の頃にバイトしていた飲食店で出会った。髪をショートボブに切り揃えた可愛い顔立ちの女の子で、その飲食店にはアルバイトとして入っていたが、のちに正社員となり、現在は店長として店を取り仕切っている。私が就職してからはお互いなんとなく会う機会を逸していたので、その日は約5年ぶりの再会となった。

「ごめん、おまたせ」

待ち合わせの時間を30分ほど過ぎた頃、えりちゃんは現れた。久しぶりに会う彼女は、以前とほとんど変わった様子はなく、黒の革ジャンに細身のパンツを履いていた。以前、えりちゃんの家に行った時に驚いたのだが、彼女のクローゼットにはスカートはひとつも存在せず、ほぼ相似形と思えるような細身のパンツが大量に収まっていた。昔から自分のスタイルがはっきりしている子だった。

青森から仙台へ。一人暮らしがしたかった

えりちゃんの出身は青森県。地元の高校を卒業した後、仙台の短大に進むことに決めた。えりちゃんいわく「仙台は東北の新宿」。都会への憧れもあった。大学では教員免許を取ろうと考えていたが、バスケに打ち込みすぎて単位が取れなかったため、教員の道は諦めた。大学を卒業する段になっても、OLとして働く自分がイメージできず、就職活動を一切していなかったため、卒業後は何の目的もなく青森の実家に帰った。

「実家に帰って一カ月半くらいは無気力になっちゃって、洗濯物を干すのもつらかった。鬱っぽくなってたのかも」

そのうち「このまま実家にいてはいけない」と感じた彼女は北海道へ飛び、住み込みのリゾートバイトでお金を貯めて、仙台で友人とルームシェアをスタートさせる。

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