ワンオペ密室育児を美談にし、母性愛賛美を強化することの問題点

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理想の母親に縛られて、苦しい

ユニ・チャームは動画の制作意図として「理想の子育てと現実との違いに悩む母親たち」に向けて、新生児・乳児を育てる現実の生活を描き、現実はこのように大変だけれども頑張ろうと応援するものだと説明している。私が疑問に思ったのは、“悩む母親たち”が「理想の子育て」をどうイメージしているのか、というところだ。やたらわけもなく泣かない、母乳をよく飲み離乳食もよく食べる、夜はそれなりにぐっすり眠る、体調を崩さずすくすく発達する、笑顔で過ごせる穏やかで優しい時間……そうしたイメージだろうか? それこそおむつCMに登場する赤ちゃんは笑顔だし、夫婦も笑顔で、爽やかかつ温かい空気をふんわりまとっている。それが理想の子育てだったとしたら、確かに現実と違うのは当たり前だ。しかし一番ギャップが大きいのは、「ママなんだから赤ちゃんを無条件で愛せるはずなのに、イライラしてしまう自分」ではないだろうか。我が子が想像していたような都合のいい赤ちゃんでないからではなく(そんなことにがっかりする人もそういないだろう)、自分が理想の母親でないことに悩む……動画の女性も、そのように見えた。BGMの歌詞からもそう読み取れる。

BGMとして流れるのは、シンガーソングライターの植村花菜が歌う「moms don’t cry」という曲だ。はじめて子育てするママへ贈る歌ということで、歌詞は非常に直接的である(彼女がそういう作風の人だというだけかもしれないが)。

私の時間はぜんぶ君の時間/保湿もごはんもサッとしなきゃ/ああ君はかわいいのになんだかイライラしてしまって/他のママが立派に見えてもっといいママでいたいのに/ママは泣いちゃダメだって思ってた/ママは強くなきゃダメだって思ってた/でもね泣いて笑って一歩ずつ君と一緒に生きてゆく

結局のところ、新米ママをどう応援しているのかというと、「みんな同じように不安だよ。でもあなたはその子のママなんだから、大丈夫。ママとして成長できるよ、頑張ろう」ということである。

しかしギリギリに追い詰められているとき、我が子の笑顔さえあれば自分もつられて明るい表情を取り戻せるだろうか? そういう瞬間が断続的にあったとしても、深夜15分おきに大声で泣かれたり、抱っこしてあやしてもグズり続けたりする時間もまたあるわけで、一進一退の攻防だ。そうした日々を、たとえば5年、10年経過してから「宝物」と振り返れる人もいるはずだが、私自身は二度と思い出したくないし繰り返したくもない。あの頃、そんな気休めの言葉は全く欲しくなかった。極限状態になっているとき、「いつか」遠い未来に今が宝物になるんだ、なんて余裕のある思考はできない。

現存する誰もが父と母から誕生し、主に母親によって育てられてきた経験を持つため、「お母さんなら子育てできるだろう」と疑いもせず思い込んでいる。自分の親がやってくれたように自分もやれるはずだ、と女性自身もうっすら信じている。

しかしお母さんは特殊な生き物ではない。「母は強し」と言われ、たくましさを求められる。要するにタフであること、根気強くあること、愛情深くあること、優しさと厳しさを兼ね備えていること、賢くあること等が「母親」の特性だ。ムーニーの動画は、母親とはいってもいきなり強くはなれないし涙する、不安を抱えている一人の女性だということを示しているが、その時期を乗り越えて「いいママ」になれば、いつか新米ママとして奮闘した苦労は宝物になるのだから大切な時間だ、としている。もっともなことのように思えるけれど、あの動画のような“リアル”を美談として描くことには、私はやはり到底賛成できない。これが“リアル”ではいけない、母子が密着した密室での育児・一人の親によるワンオペレーション育児はもうやめよう、と警鐘を大きく鳴らす必要性があると考えるからだ。

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