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ワンオペ密室育児を美談にし、母性愛賛美を強化することの問題点

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「お母さんだから」に回収しないで

こう言うと極端に受け取られて「母親が育児に専念するのは当然のことではないか、何がいけないのか?」「産んでおいて育児をやりたくないというのは、あまりにワガママではないか」と意見されるかもしれない。しかし“母親が”育児に専念するのが当然なのは、どうしてだろうか。合理的なことなのか。あるいは自然な、生物として当然のことなのか。男は狩りに出て女は家を守り戦士を癒す、そんな原始時代を生きているのだろうか?

人間の子供は未熟な状態で産まれてくるため、誰かが世話しなければならず、母親がその役割を担うことが自然だとされている。だが、それが母親でなく父親や他の家族であったり、家族ではない専門職の人間だったり、あるいは複数の人間が共同で世話をするかたちでも問題はないだろう。子供は母性愛によって育てられなければ健全な発達ができないというわけではない。一人の大人が育児に専念することで、その人個人に精神的・肉体的負担が重くのしかかるばかりか、経済的な自立の道も閉ざされかねない。このことを問題視せずに、母性愛ゆえの当然の行為だとして強いる、そして賛辞を送る価値観には、疑問ばかりだ。

2015年6月に刊行された『増補 母性愛神話の罠』(大日向雅美/日本評論社)は、恵泉女学園大学の学長である大日向氏(専門は発達心理学)が2000年に書いた原著に大幅に加筆修正を試みたものだ。母性愛神話や三歳児神話が広く信じられている風潮のルーツを検証し、現実に起きている問題を示して様々な角度から問題提起している同書によれば、母性愛神話の弊害は軽んじていいものではない。

同氏が育児雑誌の協力を得て乳幼児をもつ母親を対象に実施した全国調査では6000を超える声が集まり、「子育てがつらくて逃げ出したくなることがある」という母親は91.9%であったという。もちろん子育てが大変な労働でありつらいのは当たり前だが、母親たちの声に悲壮感が漂うのは、『おそらく母親には育児の適性があり、育児は女性の喜びだとする社会の圧力が強すぎるからであり、それに対して精一杯の反論を試みているからであろう』と見ている。

『正面切って訴えることができないながらも、こうしたつらさに葛藤していたのは、1970年当時も同じであった。ちょうど世の中がコインロッカー・ベビー事件に揺れていた時代であり、当時の母親たちの「母性喪失現象」が糾弾されていた時代であったから、子育てのつらさを訴えるのは(中略)非難を浴びかねない、そんな風潮に満ちていたのである』(第3章 母性愛神話の罠にはまる女性たち)

こうした母性観は結果的に、児童虐待や育児ノイローゼなど直接的な悲劇につながることがあるだけでなく、女性の経済的な自立を阻害し、子の成人後も癒着した母子関係を生み、男性の親としての成長を妨げてもいる。私たちの社会は『育児は母親がすべきものであり、母親は育児を喜びとするはずだと信じて疑わない』(第10章 母性愛神話をかざす男たち)傾向が未だに根強く、件のムーニー動画もそれは変わりないように見えた。子育てをめぐる政治的な展開が何もなかったとは言わないが、00年に問題提起した内容が、15年が経過してもなお解決に向かわず今日的問題として通用することに、大日向氏は「奥深い課題である」とあとがきで記しているが、2017年5月現在もなお、問題は複雑化していると思えてならない。

女性に一方的な母性を迫り、男性の子育て機会を奪う、母性愛信仰に基づいた社会構造を改善する必要がある。<「子育ては母親のもの」とする母性観>が疑いなく信じられていることで、不利益を被る女性がいて、子供がいて、男性がいるからだ。様々な角度から問いを投げ続けていかなければならない。これは動画への“クレーム”ではないし、不快だからやめてくれなんて話はしていない。あの動画を見て問題を感じ取った人たちは、この社会における子育ての有り様を「このままでいいのか」と考え直してほしいから、SNSで抗議の声を上げているのではないか。“育児のリアル”はわかった、けれど今、この“リアル”を受け入れるべきではない。

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