あるwebサイトにこんな記事を見つけた。外国の話なのだが、とある子連れの夫婦が飛行機に搭乗した際、周囲の乗客らに小さな袋に入ったキャンディーを配ったそうだ。そこには小さな手紙が添えられていた。
『こんにちは! ぼくたちは生まれて14週間の双子の兄弟です。飛行機に乗るのは今日が初めて。お行儀よくするように頑張るけど、もしも落ち着かなくなったり怖くなったり耳が痛くなったりして迷惑かけたらごめんなさい。ママとパパ(別名:歩くミルクマシーンとおむつ交換機)が耳栓を用意しています。ぼくたちは20Eと20Fの席にいるから必要な時はいつでもどうぞ。みなさんにとって素敵な旅になりますように!』
このユーモア溢れるエピソードにネットユーザーたちが賞賛の声を寄せていた。一方で、「こういうことをしなければ機内の乗客は赤ちゃんが泣くのを許せないということならそれはすごく悲しいこと」という意見もあった。ともかくも、「親として配慮してますんで、ご勘弁ください」という姿勢があるとないとで、周囲の捉え方は大きく変わるという一例だ。
小さな子供を連れているだけでビクビクしたり、周囲に引け目を感じなければならないとしたらすごく悲しいことだ。そもそも子供が発する騒音などをどこまで許容できるかは人それぞれだし、初見でそれがわかるハズもない。そして、騒音自体を「完全回避することができない」以上は、親たちが少しでも安心して過ごせる土台のようなものを作っておくしかないだろう。冒頭にも述べたように、中には子供が騒ごうが暴れようが気負わず快適に過ごせるという親だっているだろうが、私には不可能だし、そういう親たちの心理を理解することも難しい。
極端に心配性の私だが、必ず実行していることと言えば、交通機関やレストランの座席に座るときには、周囲の人に「すみません」に似たような会釈程度の挨拶をする。これは、周囲への配慮をするつもりでいますという意思を示して、相手にも安心してもらいたいという表れなのだが、それが伝わっているか、または伝わっていた所で迷惑は迷惑だと感じる人もいるかもしれない。
しかし少なくとも、私自身がこれをすることで少し安心して子供と過ごすことができている。
間もなく迎える息子の1歳の誕生日は家族で初めての1泊旅行を予定している。予約の際はなるべく周りが空室になりやすい部屋を用意してもらい、もし当日宿泊客が居れば一言挨拶をしておくつもりだ。ホテルのバイキングは交代制で行き、少しでも子供が「大勢の中に居る」時間を減らす。これが「子連れ親の正解」と言いたいのではない。これをすることで、私自身が少しは安心・快適に過ごせるという保険のようなものなのだ。
子供が公共の場で大人しく過ごしていられたらそれが親にとっても周囲にとっても一番だ。そのために、睡眠薬を飲ませるという少々強引な方法もあるようだが、その安全性が保障されていないことからもあまり望ましくはなさそうだ。
何度も繰り返すが子供は「泣くもの」「騒ぐもの」これはもう仕方ない。そして、それを見ている側の許容の度合いも違うのだから「これをすれば万全」なんて策はない。だったら、やっぱり親自身が必要以上に気負わなくて済むような方法を模索するしかないだろう。
私は自分の子供にたくさんの経験をさせ豊かな心を育てたい。それに「今」しか見れない子供の成長に立ち会いたいと願っている。公共機関や施設で周囲の目を気にするあまり、子供と過ごせる喜びが半減してしまう、またはそれらを恐れるあまりなかなか思うように外出できず小さくなっていなければならないのは、とても残念なことだ。全ての人に「子供に対し寛容な気持ちで」と求めることは傲慢だと思うが、余計な摩擦は減らしたい。親と周囲の人間の双方が気負わずに過ごせる場面が1つでも多くあることを願う。