毎月、数日間かけて膣から血液が流れ出ていく生理。その血が「不浄」とされ、ケガレ扱いされてきた歴史は否定できないが、現在に至ってもなお生理を「女性が隠すもの」として扱わなければならないことが、こうした“悪質なからかい”や無知を招いていないだろうか。
女性同士では互いの生理について抵抗なく会話する人もいるが、対男性であったり、対不特定多数の社会に向けては、生理は基本的に「隠すもの」とされている。生理用品のCMがバンバンテレビで流れているにもかかわらず、コンビニや薬局などで生理用品を購入すると、コンドームなどと同じようにわざわざ不透明な袋に梱包され慎重に扱われる。初潮の時期には、ナプキンやタンポンは専用のポーチに入れてトイレへ持ち運ぶなどして隠すべきだと大人から教えられる。生理痛や経血の多さから体育の授業を見学すると異性の生徒から「生理?」とからかわれる。毎月、隠すべきものとして生理を扱っていくうちに、「人に知られると恥ずかしいもの」という意識も同時に、当事者である女性に内面化されていくのではないか。
『生理用品の社会史:タブーから一大ビジネスへ』(ミネルヴァ書房)を著した田中ひかるさんは、messyのインタビューで「1980年ごろまではテレビでナプキンのCMを流すことの是非が問われていましたし、2013年にNHKの番組『朝イチ』で布ナプキンが特集されたときも、『生理用品をテレビに映すとは!』などの反応がありました。女性の生理は隠しておくもの、表で語るべきものではない、という空気は根強く残っています」と語っている。しかし生理の経血は排泄物であり、私たちは男女ともトイレでごく普通に排泄行為をおこなう。となると生理用品はコンドームよりもトイレットペーパーに近いごく当たり前の日用品といって差し支えないだろう。
2011年に起きた東日本大震災の際、生理用品を生活必需品だと知らない人々の誤解によって、避難所に生理用品が足りないというアクシデントがあったことは内閣府が翌年に発表した資料(東日本大震災における災害応急対策の主な課題)で報告されている。だが2016年に起こった熊本大震災の支援では同じ轍を踏まず、生理用品が避難所へ届けられた。誤解は正していくことが出来る。生理は「ほとんどの女性の体に備わった機能」であり、生理用品は日常生活を送るための必需品だ。それを隠し、当事者を「恥ずかしがらせる」風潮は、断ち切るべきである。
(ボンゾ)
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