「東京は日本一多様性を受け入れてくれる町」仕事を辞めても地元に帰らないキャリア女子/上京女子・ケース2

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Photo by 赵 醒 from Flickr

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11時45分、渋谷行きの電車のホームに私(いち上京女子・ライター)はいた。ホームは仕事帰りのサラリーマンや、真っ赤な顔をした学生たちで溢れ返っており、滑り込んできた電車にはぎゅうぎゅう詰めに人々が乗り込んでいく。神戸から上京して10年、東京の人の多さにはまだ慣れない。

人込みに揉まれながら、砂羽の話を思い出していた。
砂羽も私と同じく自分の意志で東京にきた、上京女子のひとりだ。

この連載では、私と同じように、「どこかから上京し、そしてまだ東京で生きている」そんな女性たちの声に耳を傾ける。

今日の上京女子/ 砂羽(仮名) 30歳 国際機関職員

砂羽は、長くくっきりしたツヤを放つ黒髪が印象的な女性で、学生時代に仲良くなった。

彼女が上京した最初の数年は、事あるごとにお茶をしたりご飯を食べたりしていたのだが、1年前、砂羽が既婚者と恋愛関係にあることを私がとがめたことで口論になり、それ以降は連絡こそ取っていても、なんとなくお互いに会いづらい雰囲気になっていた。

不倫に関しては、したい人はすればいい、というのが私の考えだ。ただ、そのときは、彼女が辛い思いをするような予感がして、かなり強く否定的なことを言ってしまっていた。

その日、取材を口実に1年ぶりの再会を果たした。

砂羽の自宅。イチゴを準備して出迎えてくれた。

砂羽の自宅。イチゴを準備して出迎えてくれた。

家庭が息苦しい。とにかく、ここを出ないと

岐阜で生まれた砂羽は、両親が教師という厳格な家庭で育った。

「あとから考えてみると、うちの家庭は他の家庭とはちょっと違ってたんよね。父親は厳しすぎて、何をしても褒められることなんてなかったし、母は人との距離感がすごく遠い人で、物心ついた頃からほとんど触れ合った記憶がなかった」

そんな家庭で育った彼女は、家庭では息苦しく感じることが多く、「行先はわからないけど、とりあえずここを出ないと」という思いが幼い頃からあったという。

奈良、そして京都へ

家を出たい一心で奈良の大学へ、そして京都の大学院に進学する。私が砂羽と出会ったのは、京都の大学院で国際関係について学んでいる時だった。

大学院に進学した理由は、「小学校6年生の時にパレスチナに関するニュースを見て国際問題に興味が湧いて。それからずっと国際機関で働けたらなって思ってて」。

だが、京都での生活が気に入った彼女は、国際機関での就職を諦め、京都の観光協会に就職をする。京都での生活は彼女にとても合っていて、当時は「このまま京都に骨をうずめよう」とまで考えていた。

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