連載

子連れのコミュニケーションが苦手すぎる! たちまちフレンドリーになる「ごきげんよう文化」

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キッズランドという試練

さらに、小さな子を育て中の身として、ささやかな悩みとなっているのは、「見ず知らずの親子」とのコミュニケーションだ。

よく行く大型スーパー内のキッズランドは、子供が自由に遊べる広々としたスペースやおもちゃ、アスレチックなどがあり、0歳児~小学生ぐらいまでの子供と同伴の親で溢れ返る賑やかな場所だ。小学生くらいになれば「他人」をしっかり区別でき、自分のテリトリー内で遊ぶことができるが、0歳児の息子は自分の興味の対象にまっしぐらになり、他の子が遊んでいる輪の中にも平気でズケズケ入っていく。この時に私の緊張のバロメーターは振り切ってしまう。

元々昔から子供嫌いだった私は、母親になった今でもよその子とどう向き合って良いのかわからず、コミュニケーションを取るのが容易ではない。息子は平気で他の子が遊ぶテリトリー内に入り、一緒に遊び始める(時には邪魔する)ので、親の私としてはその子に何らかの言葉をかけなければ不自然だとは思うのだが……。「ごめんねぇ~」と言ったあとに、息子に対し「ほら、お兄ちゃん(お姉ちゃん)の邪魔しちゃ駄目だよ」と声をかけるのが精いっぱいで、こういう状況が私はものすごーくツライ。「すみません」と謝って退散できたらずーーーっと楽なのに、相手が子供なもんだからそうはいかない。

私は子供相手に「人見知り」しているんだろうが、相手が子供なぶん、「いかにも大人らしいスマートなよその子への振る舞い」をしなければならない気負いが生まれて、萎縮してしまう。赤ちゃん言葉を使うなんてもってのほかだけれど、いわゆるタメ語(「××なの~? ○○だね~」とか)でよそのお子さんに話しかけるのも非常に苦手だ。でも不思議なことに、周囲のお母さんは皆、そこら辺上手に“なんてことなく”やっているように見える。

中には私のように、内心大赤面な母親もいるかもしれないが、そんなことは微塵も見せない。見せないだけで皆努力しているのだろうか?

小学生くらいの女の子がたこ焼き屋さんごっこをしていると、息子はそこに歩み寄り、女の子が「焼いている」たこ焼きを次から次へと手に取り、他の場所に置いてしまう。息子はもちろん意地悪をしているつもりではないのだが、私が女の子に「ごめんね~(汗)」とたどたどしく詫びていると、女の子の母親が慣れた口調で私の息子とコミュニケーションを取り始めた。

「ちっちゃいたこ焼き屋さんだ~上手だねぇ~」

そして女の子に、「ちっちゃいたこ焼き屋さんにも焼かせてあげな~」と、まるで普段の会話ぐらい違和感のない調子で告げている。そのお母さんは子供同士の世界にスッと入っていけてるように見えた。ますます行き場がない私は傍観者に徹する。

ベビースイミングの更衣室にて

私は息子を週1でベビースイミングに通わせている。対象年齢は4カ月~3歳となっているが、今のところ息子が最年少で、同じクラスの子は1~2歳くらいが多い。レッスンは60分、参加人数はその時にもよるが大体7~10人程度。母親(たまに父親もいる)と子供はセットでレッスンに参加する。

レッスン中は皆、自分の子で手いっぱい(怖がったり泣いたりする時もあるので)だが、レッスンが終わり着替えをする時には親同士、いつも親しげに会話している。よその子を「〇〇くん(ちゃん)」と親しげに呼び、子供の反応一つで笑いを共有したりしているが、通い始めて半年、私は未だにこの輪に馴染めずにいる。むしろ、レッスン中は子供同士・親同士コミュニケーションを取るような場面は滅多にないのに、なぜ他の子を愛称で呼ぶほど親しくなれたのだろう? と疑問しかない。

以前に記した「ママ友」みたいな“いかにも”な雰囲気ではないし、ましてやレッスン後ランチを……なんて外部にまで及ぶ付き合いはしてなさそう。あくまでその場だけでのコミュニティで、今のところ「ボス」がいるわけでもないし、苦手なタイプの人たちではない。なのに馴染めない。その会話に混ざることが出来ない。なぜなら、更衣室での会話は全部、母A→母Bではなくて、子A=母A→子B=母B、という形式になっているから。つまり、どうしても私がやれないタイプのコミュニケーションで成立しているからだ。

子供を着替えさせ、その後自分たちも着替え、髪を乾かし、ロッカールームを出るまではおおよそ30分程度だが、その間に「ウチの旦那がさぁ~」とか「最近仕事でさぁ~」とかいうフレーズは聞いたことがないし、それどころか“共通の話題”であるハズのスイミングコーチの話題すら出ない。“何を話していた”と記憶していないくらい、その場で起こっている(子供の)ことを実況するように話して、その30分をスムーズに流している。

女性同士のコミュニティにありがちな「陰口」が存在しないことは良い側面だろう。そもそも最初から、子供の言動・行動にスポットを当てた会話(付き合い)しかしていないのだから、ネガティブなワードは全然出ない。いつも場は穏やかで明るい。1~2歳といえば心身の成長著しく、先週はできなかったことが今週は上手になっている、なんてこともしばしば。たとえば自分で身体を拭くようになった、自分でパンツを履くようになった、など……それらを誰かが「わぁ~! 〇〇ちゃん(くん)上手じゃ~ん!」とホメ、褒められた子の親は「今日はやる気があるみたい(笑)」とか「〇〇くん(ちゃん)にかっこいいとこ見せたいんだよ~」と返す。よその子供に「ごめんねぇ~」と言うことすら抵抗がある私は入り込めない。息子がニコニコ笑っているのを見て、「笑ってくれるの~ありがとう~」とか「今日ボール遊び上手にできてたね~」とか声をかけてくれるお母さんもいるのだが、他のお母さん同様に子供目線の、柔らかく自然なやり取りを交わすのは私にとってとっても難しい課題。別にそれをしなくたって、笑顔であいさつを交わすことはできているわけだし、決して悪い関係ではないのだから敢えてどうこうする必要はないのだけれど……。

お母さんの仮面を被れない

もともと子供好きであるとか、子供の扱いが上手い人だけがお母さんになるわけではない。結果として、自分が産んだ子のお母さんになるだけであって、一般的な「お母さん像」の姿に近くなるかどうかは全く別の話だ。そして私はそういう「お母さん像」に当てはまるタイプの女性ではないと思う。その「お母さん像」に近付きたいとは思わないし、近付く必要もない。けれど「お母さん像」というか「お母さんの仮面」を被った振る舞いを求められる場面があまりにも多いことで、しばしば息苦しい思いをする。その一例がこうした、子供を介したコミュニケーションだ。自分みたいな母親って、多くはないかもしれないが、他にもきっといるだろうと思う。

一見くだらないように見えるかもしれないし「そんなことで悩む!?」と思う人も多いだろう。確かに私自身、深刻な悩みというわけではないけれど、いちいち困惑したり緊張したり居心地の悪い思いをしたりするのはイヤだ。この「ごきげんよう文化」をこなすという課題は、地味に重い。一見なんでもないようなことを上手にやれてるか不安で心で大赤面する、というのは結構なエネルギーを使うものだ。これから長く続く育児生活、少しでも慣れたいとは思っている。

ただ、この葛藤も案外、今だけなのかも、とは思う。息子がもう少し大きくなり、自分で他者とコミュニケーションを取れるようになれば、コミュニケーションの軸を息子に置くことができ、「私と息子の二人」と「他者」として楽にやり取りができるかもしれない。

こなれて見えるお母さんたちもそうやってソワソワする時期を乗り越えているのかもしれないし、子供が成長すれば、子供目線での他者とのやり取りなど何てことないのかもしれない。

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